富士浅間神社|豊島区高松の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

富士浅間神社|豊島長崎の富士塚

富士浅間神社の概要

富士浅間神社は、豊島区高松にある神社です。富士浅間神社の創建年代は不詳ですが、富士塚が文久2年(1862)に築造されたことから江戸末期には創建されていました。現在長崎神社の境外末社となっています。

富士浅間神社
富士浅間神社の概要
社号 富士浅間神社
祭神 木花咲耶姫命
相殿 -
境内社 三峯神社、稲荷神社
住所 豊島区高松2-9-3
備考 豊島長崎の富士塚



富士浅間神社の由緒

富士浅間神社の創建年代は不詳ですが、富士塚が文久2年(1862)に築造されたことから江戸末期には創建されていました。現在長崎神社の境外末社となっています。

東京都神社名鑑による富士浅間神社の由緒

創建年代不詳。長崎神社の境外末社として崇敬され今日に至る。(東京都神社名鑑より)


富士浅間神社所蔵の文化財

富士塚は江戸近郊に50余りあったものの、完全な形で残っているのは、当社の富士塚と、小野手照崎神社の下谷坂本富士、練馬区江古田浅間神社の江古田富士、の3基のみで、いずれも国重要無形民俗文化財に指定されているといいます。

  • 豊島長崎の富士塚(国指定重要民俗文化財)

豊島長崎の富士塚

富士塚は、富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって、江戸時代後期以降、主として富士登山が困難な人々のために、江戸とその周辺地域に築かれたものです。
この富士講は、角行を開祖とし、江戸時代中期には身禄によって広められ、最盛期には、八百八講と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民信仰の一つとなりました。 豊島長崎の富士塚は、文久2年(1862)に富士講の一つである豊島郡長崎村の月三講(講祖は三平忠兵衛)の椎名町元講の人々によって築造されました。高さ約8m、直径20m、表面は富士山の黒ボク石(溶岩)でおおわれています。
塚内には、頂上に大日如来坐像、小御岳石尊大権現碑、烏帽子岩奉献碑があるほか、合目石、講碑、石仏、天狗像、御胎内などが配置され、約50基の充実した石造物群で構成されています。浅間神社では、かつてお焚き上げが行われており、奉献された数多くの講碑からは長崎村の人々の富士信仰の強さと、近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができます。
この富士塚は、東京都内にある江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから、昭和54年5月21日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を永く後世に伝えるため、昭和62年には昭和大修復が行われ、以後浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。(豊島区教育委員会掲示より)

富士浅間神社の周辺図