従容山福寿院|徳川綱吉の側室桂林院殿天室宗香大禅定尼が開基
福寿院の概要
曹洞宗寺院の福寿院は、従容山と号します。福寿院は、徳川綱吉の側室桂林院殿天室宗香大禅定尼が開基、総泉寺四四世・長慶寺二二世一峰弥生天大和尚が開山となり、従容軒として開山、明治維新の廃仏毀釈の際に、相模小田原の福寿院の寺籍を移して福寿院と改称したといいます。
山号 | 従容山 |
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院号 | 福寿院 |
寺号 | - |
住所 | 豊島区駒込1-6-8福寿院ビル |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦如来坐像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福寿院の縁起
福寿院は、徳川綱吉の側室桂林院殿天室宗香大禅定尼が開基、総泉寺四四世・長慶寺二二世一峰弥生天大和尚が開山となり、従容軒として開山、明治維新の廃仏毀釈の際に、相模小田原の福寿院の寺籍を移して福寿院と改称したといいます。
「豊島の寺院」による福寿院の縁起
一七一七(享保二)年六月徳川綱吉の側室桂林院幽棲の地に八代将軍吉宗、加賀前田家に命じ一舎建立し、従容軒と命名する。德川家捨て扶持をもって閑栖。桂林院が一七六五(明和二)年九月二二日に没して以降は荒廃する。明治維新以後の廃仏毀釈により廃絶することを恐れ、一八九〇(明治二三)年六月二日相模小田原在の福寿院の寺籍を移して福寿院として、曹洞宗長慶寺末となる。一八〇九(明治四二)年焼失。一九四五(昭和二〇)年戦災で焼失。一九七三(昭和四八)年全焼。(「豊島の寺院」より)
福寿院の周辺図