竜泉山洞雲寺|大正3年小石川区関口から移転
洞雲寺の概要
黄檗宗の洞雲寺は、竜泉山と号します。洞雲寺は、獨湛禅師を開山として創建、平石和尚が中興したといい、大正3年(1914)小石川区関口から当地へ移転したといいます。
山号 | 竜泉山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 洞雲寺 |
住所 | 豊島区池袋3-5-30 |
本尊 | 木像釈迦如来坐像 |
宗派 | 黄檗宗 |
葬儀・墓地 | 洞雲寺会館 |
備考 | - |
洞雲寺の縁起
洞雲寺は、獨湛禅師を開山として創建、平石和尚が中興したといい、大正3年(1914)小石川区関口から当地へ移転したといいます。
東京名所図会による洞雲寺の縁起
竜泉山洞雲寺は数少ない黄檗宗の寺院である。黄檗宗は江戸時代の承応三年(一六五四)中国の福建省より来朝した隠元隆琦が開いた禅宗の一派であり、本山は京都府宇治市にある黄檗宗万福寺である。
当寺は、もと臨済宗妙心寺派平林寺の末寺であったが、寛文年中(一六六一-七三)に住職の平石道樹が、隠元禅師と共に来朝した独湛性螢(万福寺四世)の弟子となったため、黄檗宗に転じたと伝えられる。開山は独湛禅師、中興開基は平石和尚とされている。
当寺はかつて文京区関口町にあり、江戸時代には近くの椿山八幡宮、水神社、関口八幡宮、竜隠庵を管理していたが、大正三年に現在地に移転した。竜隠庵は神田上水の普請に加わった松尾芭蕉が住んだあたりといわれ、いま関口芭蕉庵として著名である。
当寺には、寛政十年(1798)に徘徊美濃派玄武一門の人々による松尾芭蕉、梅花(蕉門十哲の一人で美濃派祖、各務支考)、玄武(神谷玄武)の位牌が現存し、墓地には森鴎外の『渋江抽斎』に登場する医師で考証学者の森枳園の墓などがある。(東京都豊島区教育委員会掲示より)
「豊島の寺院」による洞雲寺の縁起
寛文年中(1661-1673)平石道樹老和尚を中興開基として関口に創立。大正3年(1914)小石川区関口町より巣鴨村大字池袋字丸山1605へ移転。(「豊島の寺院」より)
洞雲寺の周辺図