真要山本浄寺|根津神社建立に際して当地へ移転
本浄寺の概要
日蓮宗寺院の本浄寺は、真要山と号します。本浄寺は、眞珠院日要(明暦3年1657寂)が寛永年間(1624-1644)駒込に創建、根津神社建立に際して御用地として収用され、宝永3年(1706)当地へ移転したといいます。
山号 | 真要山 |
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院号 | - |
寺号 | 本浄寺 |
住所 | 豊島区雑司ヶ谷1-51-18 |
本尊 | 木像日蓮聖人坐像、題目、四菩薩 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
本浄寺の縁起
本浄寺は、眞珠院日要(明暦3年1657寂)が寛永年間(1624-1644)駒込付近に創建、根津神社建立に際して御用地として収用され、宝永3年(1706)当地へ移転したといいます。
新編武蔵風土記稿による本浄寺の縁起
(雑司ヶ谷村)本浄寺
同(甲斐國身延久遠寺)末、眞要山と號す、本尊三寶祖師、開山眞珠院日要、寛永年中駒込邊に起立し、明暦三年三月十一日寂す、其後根津権現御建立の時御用地となり、寶永四年此地に引しと云。
七面社。相傳ふ此像は甲州身延山七面の像を造立せる頃試に造りし像にて、彼山の寶蔵にありしを、身延三十一世日脱元禄六年紫衣勅許の時、當寺五世正行院日保勤努あるを以て授與すと云、今の社は松平右近将監の寄進なり、大黒の像を合祀す、此像は日蓮仁治年中是性と云し頃、大願を起し自ら浄香と以て煉模し、其後宗門弘通の上弘安三年正月三日再ひ開眼す、運命守護の大黒と云。
稲荷社
門前町屋。間口二十間歩數八十、元文三年より十ヶ年の期を限りて町屋を建、町奉行支配に屬す。(新編武蔵風土記稿より)
「豊島の寺院」による本浄寺の縁起
元来谷中にあり、後、宝永3年(1706)護国寺の西方、小篠坂に移転。一説に寛永年中駒込に建立され、宝永3年に当地に移転したとも言われる。(「豊島の寺院」より)
本浄寺の周辺図