千葉山西光院|牛田薬師、荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
西光院の概要
新義真言宗寺院の西光院は、千葉山薬師寺と号します。西光院は、千葉氏の庶流石出帯刀吉深が1307年に創建したといいます。牛田薬師ととして知られている他、国学者石出常軒の碑があります。近隣の西光院墓地の隣りには常護寺墓地もあります。荒川辺八十八ヶ所霊場63番札所、荒綾八十八ヶ所霊場82番札所です。
山号 | 千葉山 |
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院号 | 西光院 |
寺号 | 薬師寺 |
住所 | 足立区千住曙町27-1 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀 | - |
その他 | 墓地販売中、荒川辺八十八ヶ所霊場63番札所、荒綾八十八ヶ所霊場82番札所 |
西光院の縁起
新編武蔵風土記稿による西光院の縁起
(千住町三町目)西光院
新義真言宗、本木村吉祥院門徒、千葉山と號す、本尊薬師は千葉介常胤の守護佛なりと云、この寺域は庶流石出帯刀吉深が別業を捨て、開闢する所なり、故に祖宗の守護佛を安し、又碑をたて當寺草創の事跡及吉深が世系行實の大概を記す、其文は古市孝道といへる者が撰ぶ所なり、其略曰(中略)(新編武蔵風土記稿より)
足立風土記資料寺院明細による西光院の縁起
小本寺吉祥院門徒 東京府管轄武州足立郡千住宿 千葉山西光院
創立徳治2年、覚音開山、寺格無之
但住職無之、東京府武州足立郡千住宿慈眼寺快如兼務。
境内 1反武、但除地
檀家 10軒
庵室無之(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)
西光院所蔵の文化財
- 石出常軒の碑(足立区登録文化財)
石出帯刀吉深は、江戸町奉行配下の断獄令(牢屋奉行)で、明暦3年(1657)の、いわゆる振袖火事で江戸市中が火事の海と化した折り、小伝馬町の牢屋から囚人を一時切放(解放)して避難させ人命を救った。以後この切放は慣例となり、日本行刑監獄史上、特記される人物である。
また、役職とは別に、朱子学や忌部神道を学び、国学に傾倒して和歌・連歌で名をなし多くの作品を残した。晩年関屋の里に隠棲してからは常軒と号し、病弱を押して源氏物語の全巻注訳全書「窺源抄」62巻を完成させ、1689年3月75歳で没した。
西光院墓地にある「石出常軒法名日念碑」は長男師深が父の業績を書き残した碑で、かなり風化しているが、一部は「新編武蔵風土記稿」にも記録されている。(足立区登録文化財西光院石出常軒の碑より)
西光院の周辺図