久栄山清亮寺|足立区日ノ出町
清亮寺の概要
日蓮宗寺院の清亮寺は、久栄山と号します。清亮寺は、運寮院日表上人が元和5年(1619)当地に創建したといいます。
山号 | 久栄山 |
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院号 | - |
寺号 | 清亮寺 |
住所 | 足立区日ノ出町42-1 |
本尊 | 一塔両尊四士合掌印、宗祖日蓮説法像 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 足立たちばな幼稚園 |
清亮寺の縁起
清亮寺は、運寮院日表上人が元和5年(1619)当地に創建したといいます。
足立区教育委員会掲示による清亮寺の縁起
日蓮宗、久栄山清亮寺と号す。元和5年(1619)身延山久遠寺末として、運寮院日表上人により、水戸街道入口のこの地に創建された。
本尊は、一塔両尊四士合掌印、宗祖日蓮説法像を中心に、左に釈迦・多宝両如来、四菩薩、四天王、文殊・普賢両菩薩、不動・愛染両明王の15躯の木像で構成されている。
本堂は天保4年(1833)に再建の総欅造りで、随所に江戸期の建築様式を残しているすぐれた建造である。
昭和6年再建の山門(薬医門)に掲げる扁額「久栄山」の書は、六朝風の名筆中村不折によるもので、昭和59年11月登録文化財(書跡)とした。
墓域には、明治初年日本医学発展のために解剖された囚人11名を供養した解剖人塚があり、昭和57年12月区登録有形文化財とした。他に千住出身の歴史学者文学博士内田銀蔵の墓などがある。
また、かつて水戸街道に面して古松が茂り水戸光圀公ゆかりの「槍掛けの松」として有名であった。(足立区教育委員会掲示より)
足立風土記資料寺院明細による清亮寺の縁起
山梨県管轄甲州巨麻郡身延大本山久遠寺末 東京府管轄武州足立郡弥五郎新田 清亮寺
第23代住職日習、壬申43歳。神奈川県県管轄武州国橘樹郡川崎宿古川村榎本九兵衛三男、同国堂郡南河原村於円真寺ニ得度、元治元年同寺住職、明治5年3月当寺へ移転。以上僧一人。
境内4反4畝歩。外田2反12歩、畑、4反8畝13歩。
右之通取調奉差上候。甲州身延久遠寺 元触頭、谷中瑞輪寺、下谷善立寺、下谷宗延寺。
清亮寺所蔵の文化財
- 山門(薬医門)に掲げる扁額「久栄山」の書(足立区登録文化財)
- 解剖人塚
清亮寺の周辺図