青雲寺|谷中七福神の恵比寿神、花見寺
青雲寺の概要
臨済宗妙心寺派寺院の青雲寺は、浄居山と号します。江戸時代より花見寺として親しまれており、谷中七福神の恵比寿神が祀られている他、滝沢馬琴の筆塚碑、硯塚の碑があります。
山号 | 浄居山 |
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院号 | - |
寺号 | 青雲寺 |
住所 | 荒川区西日暮里3-6-4 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 谷中七福神の恵比寿神 |
青雲寺の縁起
青雲寺は、智光禅師が開山となり創建、堀田相模守正亮が宝暦年間(1751-64)に中興したといいます。妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)・修性院と共に花見寺と称されていました。
新編武蔵風土記稿による青雲寺の縁起
青雲寺
禅宗臨済派京都妙心寺末、浄居山と号す。開山智光禅師なり。宝暦年中掘田相模守正亮中興す。本尊観音を安す。元は妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)・修性院と同く庭中を巧みに造りて遊歴の人つとへる寺なりしが、今は庭園となれり。
金比羅社。境内の鎮とす。此余昔は観音堂・秋葉・熊野・稲荷・浅間・弁天・大黒・恵比寿・布袋堂等ありしが、文化4年焼失して再建ならず。
船繁松。境内東北の崖にあり、古木は枯て植継しものとみゆ。往昔この崖下まで入海なりし時船と繋きしゆへかく名付と云傳ふれと、もとより造なる拠なし。樹下に船繋松の碑を建て銘文を刻す。(新編武蔵風土記稿より)
滝沢馬琴の筆塚と花見寺(青雲寺)
青雲寺は、臨済宗の寺院で浄居山と号する。宝暦年間(1751-64)、堀田相模守正亮の中興と伝える。江戸時代の中頃より「日ぐらしの里」と呼ばれ、庶民に親しまれてきたこの地は、四季折々の花を楽しむ人々で賑わった。そのため青雲寺は修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)などとともに、花見寺ともいわれていた。
現在谷中七福神のひとつ「恵比寿」が祀られている。境内には、滝沢馬琴の筆塚の碑(文化6年)をはじめ、硯塚の碑(寛政10年)、日暮里船繋松の碑、狂歌師安井甘露庵の碑など、江戸を代表する文人の碑が多く残っている。(荒川区教育委員会)
青雲寺所蔵の文化財
- 滝沢馬琴の筆塚の碑
- 日暮里船繋松の碑
- 狂歌師安井甘露庵の碑
青雲寺の周辺図