修性院|谷中七福神の布袋尊、花見寺
修性院の概要
日蓮宗寺院の修性院は、運啓山と号します。天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。江戸時代より花見寺として親しまれており、谷中七福神の布袋尊が祀られています。
山号 | 運啓山 |
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院号 | 修性院 |
寺号 | - |
住所 | 荒川区西日暮里3-7-12 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 谷中七福神の布袋尊 |
修性院の縁起
修性院は、天正元年(1573)豊島郡田中村(現練馬区南田中)に創建、寛文3年(1663)当地に移転したと伝えられます。境内に仮山を造り多数の花樹を植えた景勝地として「花見寺」とも称されていました。
新編武蔵風土記稿による修性院の縁起
修性院 同宗同末(法華宗下総国中山法華経寺末)運啓山純光寺と号す。天正元年郡中田中村に草創ありしを寛文3年当所へ移転すと云。又昔は谷中感応寺(現天王寺)の末なりしに、元禄11年彼寺改宗に因て身延の直末となれり。開山日運、慶長6年5月6日寂す。本尊三宝。当寺も宝暦年中より庭前に仮山等を造りて都人遊観の地となれり。
三十番神堂。聖徳太子及毘沙門の像をも安置す。毘沙門は伝教大師の作と云。(新編武蔵風土記稿より)
修性院所蔵の文化財
- 木造布袋尊像(荒川区登録文化財)
日ぐらしの布袋尊
修性院の布袋は、谷中七福神の一つで、「日ぐらしの布袋」ともよばれる。谷中七福神めぐりは、江戸市中で最も古い歴史をもち、年初めにあたって江戸市民が行う年中行事の一つであった。
江戸時代の中期ごろから、このあたり一帯は俗に「ひぐらしの里」とよばれ、江戸近郊の行楽地として賑わった。ことに修性院・妙隆寺(現、身延山関東別院玉川寺)・青雲寺は、境内に多数の花樹を植えて、「花見寺」の名にふさわしい庭園をつくり、四季折々の草花を楽しむことができたという。
境内には、江戸時代の儒者・日尾荊山衣サク碑がある。(荒川区教育委員会)
修性院の周辺図