佛法山西信寺|文京区大塚にある浄土宗寺院
西信寺の概要
浄土宗寺院の西信寺は、佛法山寶樹院と号します。西信寺は、小石川西岸寺開山本蓮社譽單稱長察大和尚が寛永2年(1625)(寛文2年1662年の説もある)当地に開山したといいます。練馬区大泉に西信寺別院大泉寺を別院に有しています。
山号 | 佛法山 |
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院号 | 寶樹院 |
寺号 | 西信寺 |
本尊 | 阿弥陀如来立像 |
住所 | 文京区大塚5-2-10 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 別院:西信寺別院大泉寺 |
西信寺の縁起
西信寺は、小石川西岸寺開山本蓮社譽單稱長察大和尚が寛永2年(1625)(寛文2年1662の説もある)当地に開山したといいます。
「小石川區史」による西信寺の縁起
佛法山寶樹院西信寺。浄土宗鎮西派で、仲町西岸寺の末寺である。本尊は阿彌陀如来。寛文二年西岸寺開山の本蓮社覺譽上人が當寺を開創し、想譽上人を中興としてゐる。従来餘り著名ではなかつたが、明治四十年頃長崎村に墓地を設け、犬猫の埋葬を開始してから寺門大いに繁榮し、世間に喧傳されるに至つた。『文政書上』には、境内除地三百二十六坪、傳通院領年貢地二百四十坪、町地面九十坪と記されてゐる。現本堂は明治四十四年の建立である。(「小石川區史」より)
東京名所図会による西信寺の縁起
西信寺
西信寺は大塚上町七番地に在り。佛法山と號す。浄土宗にして同區西岸寺末なり。小石川志料に云。開山本蓮社譽單稱長察大和尚。寛文二年起立。延寶三乙卯正月寂。中興開山想譽上人。境内六百七十坪本堂五間に六間本尊阿弥陀如来立像三尺。
海中出現観音 本堂中右邊にあり。立像三尺許。左手は折れて前にあり。至て古色なり。厨子の前「慶長年中開山夢中感得出現の観音」と云紙札を掛けたり。(東京名所図会より)
御府内寺社備考による西信寺の縁起
小石川西岸寺末 小石川大塚上町 佛法山寶樹院西信寺、境内護持院(源護国寺)領年貢地240坪除地326坪町地面190坪。
寺起立ノ儀、明和年中焼失ノ為不詳。
開山奉蓮社覚誉上人単称長察大和尚延宝3年正月9日示寂。
本堂6間四方。本尊阿弥陀如来長3尺木立像行基菩薩作。脇士観音勢至長2尺木立像恵心僧都作。閻魔法王長3尺木座像小野篁作。舎利吹観世音菩薩長3尺木立像作不相知、護摩堂安置ノ処当時奉堂安置。
以上丙戌書上。(御府内寺社備考より)
西信寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会