法樹山養国寺|山の手三十三観音霊場
養国寺の概要
浄土宗寺院の養国寺は、法樹山安楽院と号します。養国寺は、寛永元年(1624)<あるいは慶長15年(1610)>に開創、静蓮社寂譽上人玄貞和尚(明暦3年1657年寂)が開山、開基は岡金兵衛の母だといいます。山の手三十三観音霊場8番です。
山号 | 法樹山 |
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院号 | 安楽院 |
寺号 | 養国寺 |
住所 | 文京区関口2-3-19 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
養国寺の縁起
養国寺は、寛永元年(1624)<あるいは慶長15年(1610)>に開創、静蓮社寂譽上人玄貞和尚(明暦3年1657年寂)が開山、開基は岡金兵衛の母だといいます。
「小石川區史」による養国寺の縁起
法樹山安楽院養國寺。浄土宗鎮西派、知恩院末。本尊阿彌陀如来。當寺の開創は慶長十五年(『文政寺社書上』には寛永元年とあるが今は寺傳による)で、開山は静蓮社寂譽上人玄貞和尚(明暦三年正月二十八日寂)、開基は岡金兵衛の母である。寛永年中大檀那松平九郎右衛門家より東照宮神像を奉納し、これを境内別殿に安置してゐたので、俗に『権現様の寺』と呼ばれ、『文政書上』には境内、表口十三間、裏行二十三間、古跡地と記されてゐる。現本堂は明治十九年の建立である。(「小石川區史」より)
東京名所図会による養国寺の縁起
養國寺
関口町百六十五番にあり目白坂の中腹正八幡神社及永泉寺の中間にあり法樹山と號し浄土宗知恩院末、本尊は阿弥陀佛なり。開山は寂譽寶貞にて慶長十五戌年四月本寺を創立し明治十二年に至り本堂庫裡焼失し其の後再建す門内左に嗽石盤あり、武州豊島郡目白臺法樹山養國寺鎮座御別殿尊前奉献天下泰平國土安穏萬民快楽文化九年壬申正月十七日と刻す想ふに是は次に記す東照宮鎮座堂に奉納せしものならむ右に六尺餘の観世音あり石造にして寛文十一年正月吉日と刻す本堂は南面して寺門あり甃あり住職鈴木佐野なり
又寺内に一堂あり東照宮及呑龍上人を安置す門は異にして寺門の左にあり左右に両基の石燈籠あり文化五戊辰年十二月十七日と銘す又左側にも両基あり嘉永四辛亥歳十月十五日と刻し右に嗽石盤あり文政三庚辰年四月十七日と刻す堂は素木造にして三間四面瓦葺奥殿は一間半四面の土蔵なり(東京名所図会より)
養国寺の周辺図
参考資料
- 「小石川區史」
- 東京名所図会