一心山専念寺|専念精舎、東都六地蔵第二番
専念寺の概要
浄土宗寺院の専念寺は、一心山と号し、専念精舎とも称します。専念寺の創建年代は不詳ですが、念蓮社専譽上人心阿無的大和尚が開山となり下谷に創建、天和年間(1681-1683)に当地へ移転したといいます。境内には東都六地蔵第二番(金銅仏)が安置されています。
山号 | 一心山 |
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院号 | - |
寺号 | 専念寺 |
住所 | 文京区千駄木1-22-24 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専念寺の縁起
専念寺の創建年代は不詳ですが、念蓮社専譽上人心阿無的大和尚が開山となり下谷に創建、天和年間(1681-1683)に当地へ移転したといいます。
「本郷區史」による専念寺の縁起
専念寺
駒込千駄木町に在り。智恩院末、一心山正定院と號す。開山無的(寂年不詳)初め下谷池の端に在り、天和中此地に移るといふ(改撰江戸志)。江戸六地蔵第二番(元禄四年地蔵坊正元建立)の地蔵あり。天明の狂歌師大根太木(飯田町中坂住松本半左門、俳名塵積樓雁奴)の墓がある。(「本郷區史」より)
東京名所図会による専念寺の縁起
専念寺
専念寺は同町(本郷千駄木町)八番地に在り。浄土宗にして一心山と號し。正覺院と稱す。京都知恩院の末なり。創立の年月は詳ならざれども。石像に徴するに正保年間ならむ。開山は念蓮社専譽上人心阿無的大和尚とす。
門前に「第二版地蔵尊衆病悉除心身安全」と刻したる石標を建つ。門塀共に石製にして鐡扉を附す。門内石佛二體を安す。其の一には元禄己巳天三月十日とあり。東畔には明治二十七年一月に建たる常盤津辻文字の碑ありて。「名に程か種をのこして梅の花」の一句を刻す。地蔵尊は其の奥に在り。一は銅製一は石造なり。石造の方最も古く「正保四年十一月六日宗譽教真理源妙宗」等の文字を認む。是ぞ市内六地蔵の一なり。本堂は瓦葺素木造りにて北面す。
墓地には甫喜山光弼の墓あり。文は浪華、葛質の選にて。會津、糟時鳴の書。文化十二年建る所。又「獨明智海神使甫喜山鹽道翁碑」あり寶暦三癸酉年六月朔乙酉日と刻したり。光弼の父にや。(東京名所図会より)
専念寺所蔵の文化財
- 東都六地蔵第二番(金銅仏)
東都六地蔵第二番(金銅仏)
江戸時代に東都六地蔵の第二番として有名であった地蔵尊は、この奥の道端(もと専念寺境内。本堂は戦災で焼失)に露仏として安置されている。円頂立姿、宝珠と錫杖をもつ高さ1.8米ばかりの鋳造である。
東都六地蔵は空無上人が元禄の頃(1688-1704)に建立したものである。建立の年代順に示すと、
第1番 瑞泰寺(文京区向丘2-36-1)(昭和61年再建・銅鋳造)
第2番 専念寺(文京区千駄木1-22-22)
第3番 浄光寺(荒川区西日暮里3-4-3)
第4番 心行寺(府中市紅葉丘2-32-14)
第5番 福聚院(台東区上野公園16-13)
第6番 正智院(台東区浅草2-3-13)
現存する東都六地蔵はここと浄光寺の二体を残すだけとなり、貴重なものである。(文京区教育委員会掲示より)
専念寺の周辺図
参考資料
- 「本郷區史」
- 東京名所図会