滝前不動堂|我孫子市岡発戸にある曹洞宗寺院
滝前不動堂の概要
我孫子市岡発戸にある曹洞宗寺院の滝前不動堂は、旧滝前山宝積寺の不動堂です。滝前不動堂の創建年代は不詳ながら、白泉寺開山の竹巌宗嫩和尚が慶長~元和年代に不動堂を建立、後に滝前山宝積寺と称していたといいます。当地はかつて平高望王が寛平年間(889-898)に空海作の不動尊像を祀った地だといい、その不動尊は中峠不動尊の胎内に納められているといいます。現在、滝前山宝積寺は廃寺となっており、正泉寺が管理しているといいます。新四国相馬霊場八十八ヶ所36番です。
山号 | 滝前山 |
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院号 | |
寺号 | 宝積寺 |
住所 | 我孫子市岡発戸1271 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
滝前不動堂の縁起
滝前不動堂の創建年代は不詳ながら、白泉寺開山の竹巌宗嫩和尚が慶長~元和年代に不動堂を建立、後に滝前山宝積寺と称していたといいます。当地はかつて平高望王が寛平年間(889-898)に空海作の不動尊像を祀った地だといい、その不動尊は中峠不動尊の胎内に納められているといいます。現在、滝前山宝積寺は廃寺となっており、正泉寺が管理しているといいます。
「我孫子市史」による滝前不動堂の縁起
滝不動 岡発戸一二七一
旧滝前山宝積寺か
曹洞宗 もと白泉寺末 現在正泉寺管理
白泉寺開山の竹巌宗嫩和尚がここに堂宇を営んだのは、慶長~元和年代と考えられる。境内地は手賀沼を見下す景勝の位置にあり、九世紀にさかのぼる寛平年中に平高望王が空海作の不動尊像をまつったところとの由緒が語られている。
ところで、古代の堂は寛和二年(九八六)に損壊して、不動尊像は中峠一里塚の東に遷され、さらに中峠照明院に引き渡された。そして、いまは中峠不動尊の像の胎内に納められているという。
そのような由緒の故地に白泉寺の末寺が営まれたわけであるが、寺の歴史はつまびらかでない。境内には「滝前山宝積寺、維時寛政十一己未(一七九九)正月吉日」と刻む不動明王の石像があり、滝の石組もつくられているので、宝積寺と称する不動尊信仰の堂庵があったと思われる。そうしたところに、ここを第三十六番土佐の青龍寺写しの霊場とすることになり、やがて大師堂も建てられた。ついで文化十三年(一八一六)には、現在みる不動堂が建立されたのである。
しかし、明治の「寺院明細帳」には、宝積寺あるいは滝不動についての記載がない。当時以前、廃寺となっていたからであろう。今は正泉寺によって境内の保存管理が行われている。
不動堂は、方三間、廻縁及び向拝付、入母屋造、茅葺である。明治二十年代に修理が行われ、昭和五十一年に茅が葺替えられた。堂内の仏像や仏具はすべて撤去されているが、ここに茅葺堂をみるのは貴重な文化財を古来の姿で保存しようとする熱意によるところである。なお、堂前には嘉永三年(一八五〇)粉川市正作の銘のある鰐口が懸っている。
大師堂は、切妻造、向拝付、瓦葺で、近年補修された。堂内安置の石造大師像には、文化四年(一八〇七)の刻銘がある。
大正四年発行の『相馬霊場案内』には「堂の側に小休所がある。此処に参詣する人は、必ず憩ふて茶を呑むを例としてゐる、現時の主人を管井初太郎といひ、仲々の親切もので評判がよい。」と記されていて、往時の大師詣の風情が偲ばれる。 (「我孫子市史」より)
滝前不動堂の周辺図
参考資料
- 我孫子市史