作新台春日神社|千葉市花見川区作新台の神社

猫の足あとによる千葉県寺社案内

作新台春日神社|千葉市花見川区作新台の神社

作新台春日神社の概要

作新台春日神社は、千葉市花見川区作新台にある神社です。作新台春日神社は、長作の農民が当地(作新台東側)を開発し、享保15年(1730)石宮として建立、大正元年(1912)長作町諏訪神社に合祀されています。境内には作新台西側の開発を求めて立ち上がった長作村名主中台武左衛門の業績を称えた「開有富」開墾碑、当地がかつて馬の牧場で、近くに野馬の水飲み場があったことに因む馬の石像があります。

春日神社
春日神社の概要
社号 春日神社
祭神 健御賀足智命、伊波比主命、天子八根命、比売命、健御名方命、下照姫命
相殿 -
境内社 -
住所 千葉市花見川区作新台779
祭日 -
備考 長作町諏訪神社の飛地境内



作新台春日神社の由緒

作新台春日神社は、長作の農民が当地(作新台東側)を開発し、享保15年(1730)石宮として建立、大正元年(1912)長作町諏訪神社に合祀されています。境内には作新台西側の開発を求めて立ち上がった長作村名主中台武左衛門の業績を称えた「開有富」開墾碑、当地がかつて馬の牧場で、近くに野馬の水飲み場があったことに因む馬の石像があります。

「千葉県神社名鑑」による作新台春日神社の由緒

春日神社と「開有富」開墾碑
この神社は健御賀足智命、伊波比主命、天子八根命、比売命、健御名方命、下照姫命を祀り、開墾の守護神社として信仰されています。神社の創建は不詳ですが、江戸時代に長作村農民が、作新台東側(字「享保」)を新田開発し、享保15年(1730)石宮を建立、明治初期には同西側(字「開有富」)を開墾して、明治7年(1874)に社殿を替造りました。大正元年(1912)に、長作の諏訪神社に合祀され、昭和60年(1985)に作新台氏子中により現在の社殿に改築奉納されました。開墾碑は、明治2年(1869)の「勧農殖産の令」のもとに、耕地が不足していた長作村農民が請願して作新台北部を開墾した時の記念碑です。この開墾事業は、江戸幕府の牧場「下野牧」であった野馬の放牧地を開放しての開墾でしたので、牧から追われた野馬やアラビア馬などが、明治6年に「習志野原」演習場となった地域に集められました。そのため、この請願は容易に許可されず、農民は生活に窮しました。そして、長作村名主・中台武左衛門を中心とする6か村(花島、天戸、長作、三山、田喜野井、高津新田)による野馬引払い嘆願運動に発展しました。死を覚悟のうえの武左衛門の強訴は、明治4年秋に許され、開墾がなし遂げられました。その業績をたたえ、明治12年に碑を建立しました。なお、野馬は明治8年、佐倉牧の三里塚に移されました。(境内掲示より)


作新台春日神社の周辺図