智光院|千葉市中央区市場町にある真言宗豊山派寺院
智光院の概要
真言宗豊山派寺院の智光院は、小河山と号します。智光院は、千葉康胤が康正2年(1456)に開基、千葉家代々の祈願所で、亥鼻の七天王塚および御茶の水不動尊の支配をしていたといいます。千葉寺十善講八十八所5番です。

山号 | 小河山 |
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院号 | 智光院 |
寺号 | - |
住所 | 千葉市中央区市場町7-12 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
智光院の縁起
智光院は、千葉康胤が康正2年(1456)に開基、千葉家代々の祈願所で、亥鼻の七天王塚および御茶の水不動尊の支配をしていたといいます。
「千葉町案内」による智光院の縁起
知光院
市場師範學校の並びにある。眞言宗で本尊は不動明王、千葉家廿一代康胤康正年中に於て開かれたとの事だが、詳らかには判つて居らない。尚同寺内には弘法大師の堂宇もある。(「千葉町案内」より)
「社寺よりみた千葉の歴史」による智光院の縁起
智光院
亥鼻山の山裾、郷土館への登り口の石段の左側にあって、新義真言宗に属し、本尊は不動明王です。
康正二年(一四五六)に千葉康胤の開基といわれ千葉家代々の祈願所で、亥鼻の七天王塚および御茶の水不動尊の支配をしておりました。
千葉家が佐倉へ移ってからは荒廃し、安政六年(一八五八)の宗門改帳によりますと、この寺は無住でした。明治このかた、しだいに復興してきましたが、一時は、本尊のほかの什物は打鳴し一個だけという時代もあったそうです。
また一説には、当寺は辺田(都町)に創建され、のち、この地へ移されたとも伝承されていまして光明寺の場合と似ております。(「社寺よりみた千葉の歴史」より)
智光院の周辺図