福正寺|千葉市中央区今井にある日蓮宗系単立寺院

猫の足あとによる千葉県寺社案内

福正寺|千葉市中央区今井にある日蓮宗系単立寺院

福正寺の概要

日蓮宗系単立寺院の福正寺は、富士山と号します。福正寺は、浄土釋氏斎蓮廣譽春源嘉善が開山となり、薬師山高巌院福秀寺と号して真言宗寺院として万治元年(1658)開山、元禄13年(1700)西山本門寺21世日意上人が宗旨を改めて開山したといいます。昭和40年日蓮宗から離脱し、単立の宗教法人となっています。

福正寺
福正寺の概要
山号 富士山
院号 -
寺号 福正寺
住所 千葉市中央区今井1-13-24
宗派 日蓮宗系単立
葬儀・墓地 -
備考 -



福正寺の縁起

福正寺は、浄土釋氏斎蓮廣譽春源嘉善が開山となり、薬師山高巌院福秀寺と号して真言宗寺院として万治元年(1658)開山、元禄13年(1700)西山本門寺21世日意上人が宗旨を改めて開山したといいます。昭和40年日蓮宗から離脱し、単立の宗教法人となっています。

「千葉市史」による福正寺の縁起

福正寺
富士山福正寺は昭和四十年八月、包括宗教団体日蓮宗から離脱し、単立の宗教法人となっている。離脱後も教義は以前の日蓮宗と同じであることはいうまでもない。元来、日蓮宗富士派西山本門寺の末寺であった。
当寺は明治四十三年の火災により古記録のほとんどを失って、開山年代は明確にしえない。一説によれば、万治元年(一六五八) 広誉上人によって、開山されたという(広誉上人が中興開山したともいう)。当寺はもと真言宗に属し、薬師山高巌院福秀寺と称し、本尊は、薬師如来であった。元禄十三年(一七〇〇)藩主稲葉能登守に願い出て、日蓮宗に改宗し、富士山福正寺と改称、本門寺の末寺となり、本門寺第二一世日意上人を中興関山としている。
享保十五年(一七三〇)五田保(稲荷町)にあった稲荷神社の別当寺であった上行院を合併し、上行院の本尊を福正寺が預って、保管することになった。当寺はしばしば火災にあい、古記録を失うが、福秀寺時代から伝えられている薬師如来像がある。現寺院は大正四年十月に再建されたものである。なお、当寺の創建について、織田信長に滅ぼされた今川・武田の家臣が小弓城主原氏をたよって、多数千葉に移り住むことになった。これら今川・武田の家臣は富士派の日蓮宗信者であったため、静岡県富士郡西山本門寺一三世日春上人が、今井村に福正寺を建立したとの説がある。(「千葉市史」より)

千葉縣千葉郡誌による福正寺の縁起

福正寺
蘇我町今井區都井戸にあり。境内一千三百五十五坪四合四勺にして、日蓮宗駿河國富士郡西山本門寺の末寺なり。往古は薬師山高巌院福秀寺と稱す。開山は浄土釋氏斎蓮廣譽春源嘉善也、薬師佛一體を安置す。萬治元年十一月之を建立す。寛文十年三月縄入の際水帳外除き薬師免とあるを以て元禄十三年稲葉能登守へ許願し再々興し且つ宗門を改めて日蓮宗富士山福正寺と號す。開山は西山本門寺廿一世日意上人なりき。然るに其の後明治四十三年九月十一日烏有に歸したりしが、大正四年十月十二日再建落成せり。(「千葉縣千葉郡誌」より)


福正寺の周辺図