不動山福壽院|千葉寺十善講八十八所
福壽院の概要
真言宗豊山派寺院の福壽院は、不動山薬師寺と号します。福壽院の創建年代等は不詳ながら、明応年間(1492-1500)頃に千葉氏の家臣亘内蔵之丞永行が、天神七代・地神五代を祀る十二社神社に因み、十二神将を従える薬師如来として、千葉家七佛薬師の一体を安置して創建、十二社神社を当寺近くに遷座させたと伝えられます。千葉寺十善講八十八所40番です。
山号 | 不動山 |
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院号 | 福壽院 |
寺号 | 薬師寺 |
住所 | 千葉市花見川区天戸町674 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福壽院の縁起
福壽院の創建年代等は不詳ながら、明応年間(1492-1500)頃に千葉氏の家臣亘内蔵之丞永行が、天神七代・地神五代を祀る十二社神社に因み、十二神将を従える薬師如来として、千葉家七佛薬師の一体を安置して創建、十二社神社を当寺近くに遷座させたと伝えられます。元禄3年(1690)に看秀法印が中興開山しています。
「千葉縣千葉郡誌」による福壽院の縁起
福壽院
幕張町天戸にあり。大聖寺の末寺にして、本尊薬師如来、抑當山縁起は、當村開創の頃、天間七代地間五代の間を以て間二社と祭り、此の地の字を十二所と號つて、天照皇大御神を鎮守と尊崇し、外十一社を末社となし故に天戸村と號する所以なり。然るに其後明應年中の頃は、千葉家の從臣亘内蔵之丞永行なるもの佛法を尊信ありて、清水織江、松丸太内、古河小太郎、江口一公等相議りて、鎮守天照大神皇大御神を稲荷大神と改祭し、字矢の内といふ地に遷座す。右十二年代の神を薬師の十二神と改稱し千葉家七佛薬師の一体を安置し本尊となし、則ち字出戸といふ。地に不動山薬師寺福壽院と號する。一寺を建立せし由、夫より又元禄三年寺格を改め法印看秀是當山中興の開基にして當住亘澄元迄十六世なり。此の寺は去る文政年中火災に罹り舊記古書等は殘りなく焼失せしによりて、里俗古老の云傳ふる所によりて誌す。堂宇間口七間奥行六間、庫裡間口七間奥行六間、境内四百六十六坪、境内に大師堂觀音堂の二宇あり。境内所有地四町二反十三歩、檀徒三百三十五戸。(「千葉縣千葉郡誌」より)
福壽院の周辺図