五所白幡神社|市原市五所の神社
五所白幡神社の概要
五所白幡神社は、市原市五所にある神社です。五所白幡神社は、当地に館を構え、八幡御所と称していた足利義明公が、源頼朝公を祀り創建したとも、足利義明公逝去翌年の天文8年(1539)に建立されたとも伝えられます。五所若宮八幡神社の飛地境内社となっています。
社号 | 白幡神社 |
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祭神 | 源頼朝公 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | - |
住所 | 市原市五所1513-4 |
備考 | 五所若宮八幡神社の飛地境内社 |
五所白幡神社の由緒
五所白幡神社は、当地に館を構え、八幡御所と称していた足利義明公が、源頼朝公を祀り創建したとも、足利義明公逝去翌年の天文8年(1539)に建立されたとも伝えられます。五所若宮八幡神社の飛地境内社となっています。
境内石碑による五所白幡神社の由緒
社殿再建記念
この地は武威四隣を正した足利義明公が永正十四年十月(一五一七年)下総生実に自立する以前に館を構へて八幡御所と称したが後天文七年十月市川国府台にて北条勢と合戦・敗卒するに及び当御所も廃絶し地名も五所と改められ仝八年跡地の一廓に白幡権現を勧請して今日に至る。即ち五所の地名発祥の旧址である。
昭和四十五年八月二十三日(境内石碑より)
「市原市史」による五所白幡神社の由緒
記載なし(「市原市史」より)
「市原郡誌」による五所白幡神社の由緒
白幡神社
源頼朝
足利義明の居城を八幡郷に築くや城内に祠を建てゝ頼朝公の靈を祭る本社即ちこれなり
間口一間奥行一間
金杉村居下(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
五所白幡神社の周辺図