根田神社|慶雲4年創建、藤原秀郷が天兒屋根尊を奉斎
根田神社の概要
根田神社は、市原市根田にある神社です。根田神社は、慶雲4年(707)の創建と伝えられます。平将門の乱(承平天慶の乱)に際し、藤原秀郷が祖神天兒屋根尊に戦勝祈願、戦勝後の天慶4年(941)当地に祖神の神霊を奉斎したといいます。永正七年(1510)に神殿を造営以来、産土神として崇敬され、明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
社号 | 根田神社 |
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祭神 | 天兒屋根尊、素戔嗚尊、大日孁貴尊、月讀尊 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 11月3日 |
住所 | 市原市根田3-8-50 |
備考 | 境外末社:根田天王神社・神明神社 |
根田神社の由緒
根田神社は、慶雲4年(707)の創建と伝えられます。平将門の乱(承平天慶の乱)に際し、藤原秀郷が祖神天兒屋根尊に戦勝祈願、戦勝後の天慶4年(941)当地に祖神の神霊を奉斎したといいます。永正七年(1510)に神殿を造営以来、産土神として崇敬され、明治維新後の社格制定に際して村社に列格していました。
「市原市史」による根田神社の由緒
根田神社(根田)
慶雲四年(七〇七)五月創建、宝永二年(一七〇五)三月再建と伝えられている。寛政九年(一七九七)造立の石鳥居と天保八年(一八三七)中嶋庄右衛門寄進の手水石と同年荻野孫右衛門寄進の灯篭一対と同年造立の狛犬一対と正徳五年(一七一五)造立の十三夜塔がある。(「市原市史」より)
「市原郡誌」による根田神社の由緒
根田神社
本村根田にあり、其創立は慶雲四丁未年五月にして寶永二乙酉年三月再建せりと、朱雀天皇の御宇平将門反し、下總より當國に根據す、僞宮百官を置き傀號して新皇と稱す、於之朝廷参議藤原忠文を征東将軍とし将門を討たしめ玉ふ、未だ至らず國香の子常陸據平貞守下野の押領使藤原秀郷と兵を合せ鋭兵以而遂に将門を射殺す、秀郷以爲らく、端なくも将門を誅戮せしは全く我が力に非ず神力の山て然らしむる所以なりと、秀郷曾て出陣に莅み、祖先鎌足公の神祖天兒屋根の命に誓つて曰く、善く逆賊を討滅する事を得せしめば神靈を祭祀すべしと、於是神威の著名なるを畏みて根田に奉斎し給へるを、寶永二乙酉年三月更に社殿を造營し、郷民等尊崇して産土神に現今の所に鎮座し以て奉祠せしなり、祭神は天兒屋根の命にして、昔は舊暦九月二十九日の祭日なりしが、今は太陽暦十月十七日に改む、境内は根田區の中央に位し石段を登れば右に子安神社を拝し進むこと數十歩社前に達す、東方山を負ひ西方數百町歩の田野を望む、域内古杉・老松鬱蒼として尊嚴を極む。(「市原郡誌」より)
「千葉県神社名鑑」による根田神社の由緒
創立は慶雲四年(七〇七)五月。旧社号を苗鹿神社と称し、宝永二年(一七〇五)再建す。朱雀天皇の御代、平将門が朝廷に反旗をひるがえし、朝廷は藤原秀郷に命じこれを討伐させた。秀郷は藤原氏の祖神天兒屋根尊に戦勝を祈願し、勝利の暁には社殿を建立、祖神を祀り報賽の誠を尽すことを誓った。のち秀郷は将門を討ち、当地に祖神の神霊を奉斎した。時に天慶四年。のち永正七年(一五一〇)庚午三月神殿を造営、以来代々の住民が尊崇し産土神として奉護してきた。(「千葉県神社名鑑」より)
根田神社の周辺図
参考資料
- 「千葉県神社名鑑」
- 「市原市史」
- 「市原郡誌」