上総国分寺跡。市原市惣社にある旧跡・名所
上総国分寺跡の概要
上総国分寺跡は、市原市惣社にある名所旧跡です。上総国分寺跡は、天平13年(741)に聖武天皇の詔により建立された上総国分寺の跡地で、国史跡に指定されています。当時建立された上総国分寺は寺域が約13万㎡、藤原京の大官大寺に類似した伽藍を配置していたとされ、七重塔は推定高63m以上と、現在の市原市役所よりも高かったと考えられています。
旧跡・名所名 | 上総国分寺跡 |
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みどころ | 国史跡 |
入場時間 | - |
入場料 | - |
住所 | 市原市惣社1-7-1 |
備考 | - |
上総国分寺跡の縁起
上総国分寺跡は、天平13年(741)に聖武天皇の詔により建立された上総国分寺の跡地で、国史跡に指定されています。当時建立された上総国分寺は寺域が約13万㎡、藤原京の大官大寺に類似した伽藍を配置していたとされ、七重塔は推定高63m以上と、現在の市原市役所よりも高かったと考えられています。
境内掲示による上総国分寺跡について
国指定史跡上総国分寺跡は、市原が古代上総国の政治・文化の中心であったことを象徴する歴史的文化遺産です。
上総国分寺(僧寺)は、寺域が12.9万㎡におよぶ、武蔵国、下野国に継ぐ規模を誇る代表的な国分寺でした。寺域のやや南西よりの南北219m、東西194mの範囲に塀をめぐらし、伽藍を配置していました。伽藍配置は、南大門・中門・金堂・講堂が南北に並び、七重塔は、回廊に囲まれた金堂前庭の東側に配置しているのが特色です。藤原京の大官大寺に類似しています。
伽藍地の北東には政所院(東院と呼ばれていた可能性があります)、北西には薗院、南には花苑などの付属施設が配置されていました。ほかに講院・綱所・経所・油菜所・厩などの施設が置かれていたことが、出土した墨書土器から推測されます。(境内掲示より)
ガイドブックによる上総国分寺跡について
国分寺は天平13年(741)に聖武天皇の詔によって全国60余国に建立された国立寺院で、各地方における仏教や文化の中心となりました。上総国分寺の寺域はおよそ13.9万㎡に及び、全国でも最大級の規模を誇ります。飛鳥の大官大寺式伽藍配置を持ち、発掘調査では、金堂・講堂・塔・中門・南大門・西門・回廊が検出されています。付近には瓦窯跡や寺を運営するための付属施設などが多数確認されているほか、七重塔の基壇と大きな心礎石が見られます。なお、現在は医王山清浄院国分寺が法燈を伝えています。(「いちはら文化財ガイド歴史の旅人」より)
西門跡について
西門は、金堂と講堂のあいだの西方に位置し、伽藍地の西側の塀に開いていた門です。平成2年3月の調査で間口3間10.8m(36尺、10+16+10)、奥行2間5.7m(19尺、9.5+9.5)の三間一戸の八脚門であったことが分かりました。
柱は直径約50cmの掘立柱で、一度建て替えられていました。また、西門が建てられる前に、南北5間12m、東西3間6.75mの掘立柱建物が建っていたことも分かりました。
西門跡については、平成5年度に位置や規模が分かるように整備しました。柱の間に[専に瓦:せん]を並べたところは、壁であったことを示しています。(境内掲示より)
上総国分寺跡の周辺図