森巌寺|市原市海保にある曹洞宗寺院

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森巌寺|市原市海保にある曹洞宗寺院

森巌寺の概要

市原市海保にある曹洞宗寺院の森巌寺は、森巌寺は、宋から渡来した大覚禅師蘭渓道隆和尚(臨済宗)が、宋国皇帝より下賜されたと伝えられる観音像を本尊として創建、海保山泉龍寺と号して弘安年間(1278-1288)に創建したといいます。その後姉崎藩初代藩主松平忠昌が父中納言結城秀康の菩提を弔うために中興開基となり、慶長年間(1596-1615)に日山和尚が開山、泉龍山森巌寺と改めています。大覚禅師蘭渓道隆和尚は、鎌倉建長寺を開山した名僧です。

森巌寺
森巌寺の概要
山号 海保山
院号 泉龍院
寺号 森巌寺
住所 市原市海保686
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



森巌寺の縁起

森巌寺は、宋から渡来した大覚禅師蘭渓道隆和尚(臨済宗)が、宋国皇帝より下賜されたと伝えられる観音像を本尊として創建、海保山泉龍寺と号して弘安年間(1278-1288)に創建したといいます。その後姉崎藩初代藩主松平忠昌が父中納言結城秀康の菩提を弔うために中興開基となり、慶長年間(1596-1615)に日山和尚が開山、泉龍山森巌寺と改めています。大覚禅師蘭渓道隆和尚は、鎌倉建長寺を開山した名僧です。

「市原市史」による森巌寺の縁起

森厳寺(海保)
真里谷真如寺の末寺。弘安年中大覚禅師蘭渓和尚の創立と伝えている。はじめ海保山泉竜寺といい、慶長年中、松平忠直が父秀康慰霊のため中興開基となり、僧日山和尚を開山とし寺名を泉竜山森厳寺と改めた。六地蔵がある。(「市原市史」より)

「市原郡誌」による森巌寺の縁起

森巌寺
本村海保字邊田小路にありて曹洞宗通玄派に屬し君津郡真里谷中本山眞如寺の末寺なり、弘安年中勅使大覺禅師蘭渓和尚の創設にして本尊千手觀音は釋迦牟尼佛御在世中優填大王の信心感得により毘首羯摩天人の作なり、大宋國理宗皇帝淳祐六年蜀の國僧蘭渓禅師日本へ来朝の時海上安全のため、天子より觀音を拝領して奨勤し給ひて鎌倉建長寺開山となり、彼寺に安置し奉るべき筈なれども信仰至つて深き故尊像を諸共にして諸法を行脚し、當山の地に至り給ふとき觀音の御告げを蒙り本尊として即ち一寺を開き、海保山泉龍寺と號す、其の後慶長年中越前宰相忠直卿御父中納言秀康御尊靈のため中興開基となり以て今日に至る、境内官有地千四百四十坪を有し本堂・庫裡・土蔵等建坪七十五坪を有す。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)


森巌寺所蔵の文化財

木造千手観音菩薩坐像

木造千手観音菩薩坐像

森巌寺の秘仏本尊で、寺伝によれば毘首羯摩の作で、蘭渓道隆が持参した渡来仏といわれています。ヒノキ材の寄木造りで、像高三二・八cmの仏像です。十四世紀初め頃の作で、十一の顔と四十二の腕を持つ市内最古の千手観音像です。膝前の衣の裾を賑やかに波打たせる装飾性や、少し猫背となり膝高となる姿には、当時流行した宋風文化の特徴がみられます。また、目尻を鋭く上げるまなざしなど、写実的な表現には、運慶・快慶の流れをくむ慶派と呼ばれる仏師集団の影響を見ることができます。(市原市教育委員会掲示より)

森巌寺の周辺図


参考資料

  • 「市原市史」
  • 「市原郡誌」