千光院|市原市菊間にある新義真言宗寺院

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千光院|市原市菊間にある新義真言宗寺院

千光院の概要

市原市菊間にある新義真言宗寺院の千光院は、印内山傳燈寺と号します。千光院の創建年代等は不詳ながら犬成に創建、領主酒井定隆が本行寺開山日泰上人に帰依し、長享2年(1488)の”七里法華”と呼ばれる領内寺院の法華宗強制改宗を謀ったことから、これを嫌った時の住職広済僧都は(酒井定隆の領地外にあたる)当地へ移転し、当院開基となったといいます。市原郡八十八ヶ所霊場88番です。

千光院
千光院の概要
山号 印内山
院号 千光院
寺号 傳燈寺
住所 市原市菊間2798
宗派 新義真言宗
葬儀・墓地 -
備考 -



千光院の縁起

千光院の創建年代等は不詳ながら犬成に創建、領主酒井定隆が本行寺開山日泰上人に帰依し、長享2年(1488)の”七里法華”と呼ばれる領内寺院の法華宗強制改宗を謀ったことから、これを嫌った時の住職広済僧都は(酒井定隆の領地外にあたる)当地へ移転し、当院開基となったといいます。

「市原市史」による千光院の縁起

千光院(菊間)
広済僧都の開基、始め犬成にあったが長享二年(一四八八)五月領主酒井定隆は厚く妙満寺に帰依し、十六世日泰が酒井領内の他宗派を改宗させる暴挙に出た際、広済はこれに応ぜず現在地に移転したと伝えられている。(「市原市史」より)

「市原郡誌」による千光院の縁起

千光院
千光院は、菊間區の中央字鍛冶屋前に在り、地積七百三十六坪、本尊は大日如来にして、眞言宗印内山と號し、本山は京都府山城國愛宕郡東河原町智積院末派同國醍醐村大悟寺末農山小本寺なり、正應二年五月領主酒井定隆、厚く妙満寺に歸依し、第十六世日泰其領内にある他宗派寺院を替宗せんとするの暴挙あるや、本院も亦改宗せざるべからざる運命に陥りしが、寺主廣濟㫓然として之に應ぜず、以て現今の所に移轉するに至れり、後、明治九年五月一夜火を失し、堂宇庫裏共に烏有に歸し、現存するものは、其後の造營に係れり。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)


千光院の周辺図


参考資料

  • 「市原郡誌」
  • 「全国寺院名鑑」