光徳寺|市原市中野にある日蓮宗寺院
光徳寺の概要
市原市中野にある日蓮宗寺院の光徳寺は、経王山と号します。光徳寺は、本土寺9世妙高院日意上人が寛正元年(1460)当地に隠棲し創建、市原城主原信濃守、岩富城主原左衛門尉の外護により伽藍を整備したといいます。中本寺として近郷に7ヶ寺の末寺を擁していました。日意上人は、小西正法寺・岩富長福寺などを開山した名僧です。なお、明治15年、瀬又小学校・国吉小学校・永吉小学校が合併して成立した三成小学校が、光徳寺客殿に開校、明治24年まで供用されていました。
山号 | 経王山 |
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院号 | - |
寺号 | 光徳寺 |
住所 | 市原市中野123 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
光徳寺の縁起
光徳寺は、本土寺9世妙高院日意上人が寛正元年(1460)当地に隠棲し創建、市原城主原信濃守、岩富城主原左衛門尉の外護により伽藍を整備したといいます。中本寺として近郷に7ヶ寺の末寺を擁していました。日意上人は、小西正法寺・岩富長福寺などを開山した名僧です。
「市原市史」による光徳寺の縁起
寛正元年(一四六〇)七月創立、楼門がある。応永五年(一三九八)在銘の宝篋印塔がある。(「市原市史」より)
「市原郡誌」による光徳寺の縁起
光徳寺
釈迦牟尼仏
寛正元年七月創立
寺院間數間口六間半奥行六間
境内坪數二、七七三坪
千葉縣廳との距離三里九〇町五八間二尺
所在地名中野村南仲ノ(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)
「日蓮宗寺院大鑑」による光徳寺の縁起
寛正元(1460)年7月の創立。開山妙高院日意。小西法縁。本土寺9世日意が隠棲し創立した。市原城主原信濃守、岩富城主原左衛門尉の外護により堂宇を建立。当山の全盛期には、本堂・客殿・二王門・山門・鐘楼・七面堂・鬼子母神堂等の伽藍を具備し、近村に7支院の末寺があった。中本寺として名高く、門前に数百年の老松がある。23世日善は平賀本土寺27世へ。(「日蓮宗寺院大鑑」より)
光徳寺の周辺図
参考資料
- 「市原市史」
- 「市原郡誌」
- 「日蓮宗寺院大鑑」