圓頓寺|市原市八幡にある日蓮宗寺院

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圓頓寺|市原市八幡にある日蓮宗寺院

圓頓寺の概要

市原市八幡にある日蓮宗寺院の圓頓寺は、泰廣山と号します。圓頓寺は、飯香岡八幡宮神主市川刑部の子息の病を平癒に導いた心了院圓頓房日泰聖人を開山として文明元年(1469)に創建したといいます。

圓頓寺
圓頓寺の概要
山号 泰廣山
院号 -
寺号 圓頓寺
住所 市原市八幡1015-1
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



圓頓寺の縁起

圓頓寺は、飯香岡八幡宮神主市川刑部の子息の病を平癒に導いた心了院圓頓房日泰聖人を開山として文明元年(1469)に創建したといいます。

「市原郡誌」による圓頓寺の縁起

圓頓寺
八幡宿字南町にあり、日蓮宗妙満寺派にして本行寺末寺なり、本尊は十界勧請にして、文明己丑元年(皇紀二一二九年)の創建なりといふ、現存建物は堂宇一棟間口六間・奥行六間、庫裏一棟間口九間・奥行五間あり、境内坪數千四百二十一坪、寺有地一段七畝二十歩。
土気古城再興傳来記曰日泰上人病者御禱祈附たり入寂之事
日泰上人は延徳元乙酉秋既に有上洛、被受權少僧都の任官御歸國の後八幡宮の神主市川刑部が一子受疫病之重病口走て曰、我は之八幡之應用たり、親に圓頓房心了院と云高徳の僧あり、彼欲聞妙經讀誦の呪法云々、賜病者の近郷會談して願日泰上人の御禱因茲聖人彼所に至り、妙典圓頓者の講義を行ひ給へば、忽に病苔平癒す、時今の妙經驗庶人悉歸依す、泰師の門葉以茲改宗の一類等構一宇の精舎願泰師の入院亦遭難爲爰に隠居、明應年中再び從本山請待有しかば、又妙塔山に住し給ひ、有權大僧都の任官説曰、刑部が一子の救病苦圓頓の講義にあり、依之圓頓寺と號、字圓頓房と云ふによりて云々。(市原郡教育會編纂「市原郡誌」より)


圓頓寺の周辺図