青暘山善照寺|行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所
善照寺の概要
市川市湊にある浄土宗寺院の善照寺は、青暘山慧日院と号します。善照寺は覚誉潮随上人が開山、青山四良兵衛正貞が開基となり、寛永2年(1625)創建したといいます。行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所24番札所です。
山号 | 青暘山 |
---|---|
院号 | 慧日院 |
寺号 | 善照寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 市川市湊18-20 |
宗派 | 浄土宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 公式ページバーチャル寺院:善照寺 行徳・浦安観音霊場三十三ヵ所24番 |
善照寺の縁起
善照寺は覚誉潮随上人が開山、青山四良兵衛正貞が開基となり、寛永2年(1625)創建したといいます。
境内掲示による善照寺の縁起
善照寺
寛永2年(1625)覚誉潮随上人によって開かれた。地元名士である青山四郎兵衛正貞が父の菩提を弔うために資金を提供して建立した。
東京芝増上寺の末寺であり。寺号「善照寺」は増上寺第十四世桑誉了的大僧正より、山号は青山家の姓にちなんで、「青暘山」を増上寺第二十三世遵誉貴屋大僧正より賜った。(境内掲示より)
境内掲示による善照寺の縁起
下総国葛飾郡八幡庄行徳湊村の武士、青山四良兵衛正貞の大信起立。本蓮社覺譽上人善照潮随和尚により三縁山増上寺の末寺として寛永二年に建立されたと伝えられている。寺号は増上寺了的大僧正より、山号は遵譽上人起(貴)屋大僧正より青山という名にちなんで「青暘山」という号を給った。
青山四良兵衛正貞は北条氏直の家臣青山伊予守家貞の四男。家貞は豊臣秀吉の小田原城攻めにより落人となり、父青山浄故入道とともに房州里見丸屋東条を頼ろうと、海路安房国を目指したが、風向き悪く下総国湊村に流れついた。青山浄故入道老齢のため、湊村に定住するようになったとされている。(境内掲示より)
善照寺の周辺図
参考資料
- 「市川市内の寺院明細帳」