岩井山龍光院|東葛印旛大師八十八ヶ所霊場、下総四郡八十八所霊場
龍光院の概要
真言宗豊山派寺院の龍光院は、岩井山安楽寺と号します。龍光院は、長享2年(1488)に創建、地蔵堂は長享3年に創建したといいます。地蔵堂の地蔵尊は、平将門(903-940)の三女如蔵尼が、将門とその一門の菩提を弔うために堂宇に祀ったものと伝えられ、一時地蔵尊像は行方不明となったものの、安政3年(1856)に印施郡萩原村から返還されたものと伝えられます。東葛印旛大師八十八ヶ所霊場6・73番、下総四郡八十八所霊場73番です。
山号 | 岩井山 |
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院号 | 龍光院 |
寺号 | 安楽寺 |
住所 | 千葉県柏市岩井424 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | 柏・湖南聖地公苑(柏市岩井367-3) |
備考 | - |
龍光院の縁起
龍光院は、長享2年(1488)に創建、地蔵堂は長享3年に創建したといいます。地蔵堂の地蔵尊は、平将門(903-940)の三女如蔵尼が、将門とその一門の菩提を弔うために堂宇に祀ったものと伝えられ、一時地蔵尊像は行方不明となったものの、安政3年(1856)に印施郡萩原村から返還されたものと伝えられます。
「沼南町史」による龍光院の縁起
当寺は岩井地区の中心部に位置し、隣接する将門神社とともに、並行して南面している。創建の時期については、大正初年の『寺院明細帳』には、当寺は「長享二年三月創立」、境内の地蔵堂は「長享三年七月創立」と記載されている。これらの根拠は不明であるが、寺有墓地には現在四基の板碑が見出され、年号の解読可能な一基は明応十(一五〇一)年の弥陀一等板碑であり、長享二(一四八八)年から間もない時期の建立であることが注目される。したがって、『寺院明細帳』の記載は史実を伝えるか、またはそれに近いものと推定される。とすれば、当寺は豊山派の古刹、清瀧院の同じ末寺として、隣の鷲野谷善龍寺と共に、ほぽ同時期に創建されたことになろう。
境内には、平将門の伝説を秘めた地蔵堂がある。安政三(一八五六)年に彫られた『地蔵尊縁起』の板木によれば、昔、将門の娘であった如蔵尼が、将門と、その一門の菩提を弔って地蔵尊を崇敬し、堂宇に祀った。後にこれが破損して、尊像も行方不明となった。しかし、印施郡萩原村から尊像が発見され、そこに堂宇が建てられて安置された。これが安政三年に龍光院に返還されてふたたび祀られることとなった、という。現在の堂宇は、この安政三(一八五六)年の再建で、棟梁は越後国の虎蔵である。九尺四方の小堂ながら、三方の濡縁と向拝が付けられた寄棟造りである。厨子に収まる地蔵尊は端正な立像で、嘉永二(一八四八)年に修復されていたが、昭和五十三年八月にふたたび修復して金色の光を放っている。
当寺は江戸初期の元和二(一六一六)年、岩井村が全焼したといわれる大火により、諸堂を焼失している。本堂はそののち再建されたが、現在の堂宇は文化十二(一八一五)年六月の再改築である。向拝には豪快な獅子鼻が付き、中備には松に烏の彫刻がみられる。大間と内陣の格天井一六八区画には、当地区を初めとする近隣諸村の旧家の紋章が極彩色で描かれ、建物が多勢の浄財喜捨で成ったことを示唆している。本尊の不動明王は、文政二(一八一九)年に勝矢五兵衛によって修復されている。(「沼南町史」より)
龍光院の周辺図
参考資料
- 「沼南町史」