女体山大乗院|松戸市樋野口にある真言宗豊山派寺院
大乗院の概要
真言宗豊山派寺院の大乗院は、女体山と号します。大乗院は、與道上人が慶安2年(1649)に開山、大正4年の江戸川改修工事により堤防内河川敷から当地へ移転したといいます。
山号 | 女体山 |
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院号 | 大乗院 |
寺号 | - |
住所 | 松戸市樋野口880 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大乗院の縁起
大乗院の創建年代等は不詳ながら、江戸期には女体神社の別当寺と勤めていたといいます。幕末期の当寺住職高城義海大僧正は、のちに東京護国寺や総本山長谷寺・室生寺の住職を務めた名僧です。
「松戸のお寺」による大乗院の縁起
真言宗豊山派女体山大乗院
当山は真言宗豊山派に属し、隣接する樋野口の鎮守・女体神社(女体山を主峰とする筑波山大権現が祭神)の別当寺院であったことから山号を女体山、ご本尊は無量の命をもつとされる阿弥陀如来なので寺号を長命寺と称します。
脇侍仏として、十一面観世音菩薩(女体神社の本地仏)と不動明王(樋野口の守護仏)を祀ります。
幕末期に当山の住職をつとめた高城義海大僧正は、のちに東京護国寺や奈良の総本山長谷寺と室生寺の住職になり、明治の日本仏教界に大きな足跡を残しました。
旧樋野口村は武蔵国に属しましたが、明治期の河川改修によって江戸川が村を二分して流れるようになったため、現在の樋野口は埼玉県から千葉県に編入されて現在にいたります。かつては静かな農村であった樋野口も、今ではマンションが建ち並び、風景は一変しましたが、当山の仏さまは、境内の松の巨木と共に、変わることなく、樋野口を見守り続けておられます。
毎年1月28日に不動尊護摩供を修して地域の安寧を祈願し、8月21日には施餓鬼法要を修行して一切精霊のためにご廻向をしています。(「松戸のお寺」より)
大乗院の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」