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本福寺|松戸市上本郷にある時宗寺院

本福寺の概要

時宗寺院の本福寺は、禮拝山恭敬院下総道場と号します。本福寺は、開祖大聖遊行二祖他阿真教上人が嘉元元年(1303)千駄堀に創建、慶長末期(1596-1615)に上本郷の豪族澤田五郎兵衛より寺領の寄進を受けて当地へ移転したといいます。境内にある上本郷七不思議の「一つ切られ地蔵」、及び弘法大師堂は、明治維新後に廃寺となった覚蔵院(明治神社隣地)より移されたものだそうです。

本福寺
本福寺の概要
山号 禮拝山
院号 恭敬院
寺号 本福寺
住所 松戸市上本郷2381
宗派 時宗
葬儀・墓地 -
備考 -



本福寺の縁起

本福寺は、開祖大聖遊行二祖他阿真教上人が嘉元元年(1303)千駄堀に創建、慶長末期(1596-1615)に上本郷の豪族澤田五郎兵衛より寺領の寄進を受けて当地へ移転したといいます。境内にある上本郷七不思議の「一つ切られ地蔵」、及び弘法大師堂は、明治維新後に廃寺となった覚蔵院(明治神社隣地)より移されたものだそうです。

境内掲示による本福寺の縁起

本福寺由緒沿革
当寺は、時宗禮拝山恭敬院下総道場本福寺と称し、神奈川県藤沢市にある時宗総本山藤澤山無量光院藤澤道場清浄光寺、通称「遊行寺」の直末である。
宗祖捨聖一遍智真上人最初のお弟子、開祖大聖遊行二祖他阿真教上人により嘉元元年(一三〇三)九月に開創。松戸市内唯一の時宗寺院である。
御本尊は鎌倉末期に鋳造と推測され、中尊に阿弥陀如来、左右に観音菩薩、勢至菩薩を脇侍とする一光三尊の立像「善光寺式阿弥陀三尊」である。
当初、当寺は千駄堀字来葉に建立され、慶長(一五九六~一六一五)末期、上本郷の豪族澤田五郎兵衛の寺領寄進により、人々この地に寺院を求められ移築。また、当寺は舌状台地の高台に建ち「上本郷城跡地」と伝承される。
慶長十四年(一六〇九)十一月九日、遊行三十二代他阿普光上人の御筆による「道場誓文写」を所蔵。この誓文は、嘉元四年(一三〇六)九月十五日、遊行二祖他阿真教上人による厳罰で臨むべき規約「道場誓文」の写本である。
明暦二年(一六五六)三月刊「一遍上人念仏安心抄」を所蔵。上人の念仏の安心は、生仏一如であり念仏の称名が念々臨終であると教えを説かれる。
元禄九年(一六九六)三月二十四日に建立の上本郷七不思議「斬られ地蔵」「弘法大師堂」がある。これらは、明治神社近くの覚蔵院にあったものだが、明治期の仏教弾圧、廃仏毀釈で廃寺となり、当寺に安置され現在に至る。
文化十年(一八一三)四月十日より二十五日迄、遊行五十五代他阿一空上人御一行による、当寺に遊行逗留された十六日間の「逗留記録」を所蔵。
嘉永四年(一八五一)十二月十四日、長州藩士吉田松陰客寓の地である。東北遊学を計画し、出発を赤穂浪士討ち入りの日に定め、武士として友との約束を守るため過書手形の発行を待たず脱藩。追手から逃れるため松戸宿の旅籠を避け、山林を分け入り、偽名を使い初日の宿に当寺の門を叩く。当時の住職二十九世覚阿了音和尚は見も知らぬ旅人を泊め、親切にもてなすと伝承される。
元治元年(一八六四)七月二十七日、水戸街道の端、上本郷村の地に於いて斬首された尊王開国論者水戸藩士佐藤久太郎が当寺に埋葬され墓がある。
明治三十四年(一九〇一)二月、平成十九年(二〇〇七)九月に修復された「釈迦涅槃図」は、江戸時代に描かれた縦十一尺、横六尺の大幅である。
昭和三十五年(一九六〇)九月二十日、澤田家母屋の屋根裏から発見された「鉦鼓」(円形青銅製)には「嘉元改元癸卯天九月日、本福寺開祖他阿弥陀佛」と銘あり、嘉元元年(一三〇三)に鋳造された日本で六番目に古い鉦である。
時宗禮拝山恭敬院下総道場本福寺(境内掲示より)

「松戸のお寺」による本福寺の縁起

時宗当麻派下総道場禮拝山本福寺
「吉田松陰脱藩の道」で知られる下総道場禮拝山本福寺は松戸市内で唯一の時宗寺院です。
当山は嘉元元年(一三O三)二祖他阿真教上人によって開山され、踊り念仏に使われる鉦鼓(松戸市指定文化財)には「嘉元改元癸宇天九月本福寺開祖他阿弥陀佛(二祖他阿真教上人)」と刻まれています。この鉦鼓は日本で六番目に古い鉦です。
ご本尊は室町時代に鋳造されたといわれる善光寺式阿弥陀三尊像(松戸市指定文化財)です。
吉田松陰は嘉永四年(一八五一)十二月十四日、二十二歳で脱藩し、追手から逃れるため松戸の旅籠を避け、山林を分け入り、初日の宿に本福寺の門をたたきました。当時の住職である了音和尚は松蔭を快く迎え入れ、見も知らぬ旅人をもてなしたそうです。そして翌日の朝は村の子供に学問を教え、北へと旅立ちました。
現在本堂で使われている鏧子(鐘)は、松蔭が宿泊する以前からある古い物で、いまと同じ音を聞いたものと思われます。
境内には「上本郷七不思議」の「切られ地蔵」があります。切られ地蔵は、もともと明治神社隣の覚蔵院にありましたが、明治の廃仏毀釈でこのお寺はなくなり、本福寺に預けられました。また、水戸藩士佐藤久太郎の墓所があります。(「松戸のお寺」より)


本福寺の周辺図


参考資料

  • 「松戸のお寺」