歓喜山正福寺|江戸川八十八ヶ所霊場
正福寺の概要
真言宗豊山派寺院の正福寺は、歓喜山と号します。正福寺の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は戦国時代末期には開発が進んでいたことから、開発の進展に伴い創建したのではないかと推定されています。新秩父三十四ヶ所観音霊場の19番、江戸川八十八ヶ所霊場38・74番です。
山号 | 歓喜山 |
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院号 | - |
寺号 | 正福寺 |
住所 | 松戸市横須賀1-17-6 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正福寺の縁起
正福寺の創建年代等は不詳ながら、当地周辺は戦国時代末期には開発が進んでいたことから、開発の進展に伴い創建したのではないかと推定されています。新秩父三十四ヶ所観音霊場の19番、江戸川八十八ヶ所38・74番札所となっています。
「松戸のお寺」による正福寺の縁起
真言宗豊山派歓喜山正福寺
開創については詳しくは分かりませんが、戦国時代に高城氏の支配下のもと横須賀村の一部が新田化されていますので、当山も戦国時代には存在していたと思われます。現在は小金大谷口の大勝院の末寺になっています。
ご本尊は不動明王です。本堂の他にも観音堂があります。観音堂では、かつて1月27日に息災護摩供が修され檀信徒の幸せと健康が祈られておりました。また、先祖代々の霊を廻向する施餓鬼会は8月18日に行われます。
境内には江戸川八十八ヶ所の大師巡りの内、第三十八番と第七十四番の札所がお祀りされており、新秩父三十四ヶ所観音霊場の第十九番もお祀りされています。
また、観音堂の前には修行大師像が建立されており、弘法大師二五〇年御遠忌供養塔と、興教大師八五〇年御遠忌供養塔も並び建てられています。(「松戸のお寺」より)
「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」による正福寺の縁起
正幅寺
横須賀ノ中央ニアリ。寺院ノ面積九畝ニ拾六歩ニシテ、歓喜山ト号ス。真言宗ニシテ大谷口大勝院ノ末寺ナリ。当寺ノ本尊十一面観世音ハ高城下野守胤辰ノ守護本尊ニシテ、落城後此処ニ奉納セシモノナリト云フ。然シテ作者ハ行基菩薩ナリト(北総高城公伝)(「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」より)
正福寺の周辺図
参考資料
- 「松戸のお寺」
- 「松戸市史料 第4集 松戸町誌・小金町誌」