東小松川白髭神社|建治年間の創建、境内社浮洲明神社
東小松川白髭神社の概要
東小松川白髭神社は、江戸川区東小松川にある白髭神社です。東小松川白髭神社の創建年代は不詳ですが、建治年間(1275-1278)の創建と伝えられ、東小松川香取神社や浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社であったといいます。中川放水路の開削に伴い浮洲明神社を当社境内に遷座しています。この浮洲明神社は漁業民の崇敬厚く、三代将軍徳川家光より社領6石の御朱印状を慶安元年(1648)拝領しています。
社号 | 白髭神社 |
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祭神 | 猿田彦神 |
相殿 | 天照皇大神、誉田別神、宇迦能御魂神 |
末社 | 浮洲浅間社、水神社 |
住所 | 江戸川区東小松川3-7-20 |
備考 | 旧東小松川村鎮守 |
東小松川白髭神社の縁起
東小松川白髭神社の創建年代は不詳ですが、建治年間(1275-1278)の創建と伝えられ、東小松川香取神社や浮洲明神社と共に旧東小松川村の鎮守社であったといいます。中川放水路の開削に伴い浮洲明神社を当社境内に遷座しています。
「江戸川区史」による東小松川白髭神社の縁起
白髭神社(東小松川二丁目四九七〇番地)
創建の由緒は明らかでないが、もと白髭明神社といって祭神に猿田彦命を祀り、別当は寶積院であった。旧東小松川村の鎮守で村社に列していた。荒川の開さくによって浮洲浅間社を合祀したので、拝殿に白髭宮と浮洲浅間の二枚の社号額を掲げている。
(中略)
浮洲浅間神社は天日鷲彦命をまつる古社で「みそか浅間」とも称して旧東小松川村の飛地の鎮守であった。別当は善照寺で慶安元年に社領六石の御朱印を受けている。
昔このあたりは小さな寄洲で、沖へ出る舟が潮待ちする所になっていた。ある時貝取りに出かけた舟が、この寄洲で潮待ちしていると浅間様のお札が流れついた。漁師はもったいないと思い、砂をかき寄せてお札を納めておいたところ、いつしか浮洲となり、やがて浅間神社が建てられるようになったという、神社創建にまつわる伝説が伝わっている。(「江戸川区史」より)
東京都神社名鑑による東小松川白髭神社の縁起
旧東小松川村の鎮守で、創立年代は評でないが、建治年間(一二七五~八)と伝えられる。荒川の開さくにより浮州浅間社を合祀した。(東京都神社名鑑より)
新編武蔵風土記稿による東小松川白髭神社の縁起
(東小松川村)白髭明神社
これも(東小松川香取神社と同じく)村鎮守にて、同院(寶積院)持。
浮洲浅間社
船堀川向飛地の鎮守にて其地にあり。慶安元年社領6石の御朱印を賜ふ。善照寺持。 (新編武蔵風土記稿より)
東小松川白髭神社所蔵の文化財
- 浮洲浅間神社(江戸川区史跡)
浮洲浅間神社
旧東小松川村飛地(現中川水路)の鎮守で現在白髭神社に合祀されている。創建年月は不詳だが、区内では屈指の古社と伝えられ、江戸の初め慶安元年(1648)に三代将軍徳川家光から御朱印6石を与えられた由緒ある神社で、祭神として天日鷲彦命を祀る。
当神社の創祀にまつわる伝説によると、「浮洲はもとわずかな寄洲で、漁猟に出る舟はここで潮待ちすることになっていたが、ある時貝取りの舟が潮待ちしていると、浅間(木花咲耶姫神)さまのお札が流れついた。そこで漁師が砂をかき寄せそこにお札を納めて置いたところ、いつしか浮洲となり、やがて浅間神社が建てられるようになった。」という。
浮洲浅間神社については、成田参詣記にも記され、「神宝に古鏡二面を蔵す」とある。(江戸川区教育委員会掲示より)
東小松川白髭神社の周辺図