磐椅神社。耶麻郡猪苗代大字西峰の神社

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磐椅神社。延喜式内社、旧県社

磐椅神社の概要

磐椅神社は、福島県耶麻郡猪苗代大字西峰にある神社です。磐椅神社の創建年代等は不詳ながら、應神天皇の時代に大山祇命・埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎したとも、和銅年間(708-715)に奉斎したとも伝えられ、天平元年(729)に見祢山南麓に遷座、誉田和気命・息長足姫命を配祀したといいます。大同元年(806)の磐梯山噴火により社殿損傷したものの、弘仁4年(813)に修復、斎衡3年(856)の「文徳実録」に「従四位下」と記載され、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社です。会津藩松平家の初代保科正之公も当社を崇敬、正之公の「磐椅神社の末社として自分を祀るよう」遺言により土津神社が創建されています。明治維新後の社格制定に際して県社に列格していました。

磐椅神社
磐椅神社の概要
社号 磐椅神社
祭神 大山祇命、埴山姫命
相殿 誉田和気命、息長足姫命
境内社 -
祭日 例大祭10月10日、春祭5月14・15日
住所 耶麻郡猪苗代大字西峰6199
備考 -



磐椅神社の由緒

磐椅神社の創建年代等は不詳ながら、應神天皇の時代に大山祇命・埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎したとも、和銅年間(708-715)に奉斎したとも伝えられ、天平元年(729)に見祢山南麓に遷座、誉田和気命・息長足姫命を配祀したといいます。大同元年(806)の磐梯山噴火により社殿損傷したものの、弘仁4年(813)に修復、斎衡3年(856)の「文徳実録」に「従四位下」と記載され、延長5年(927)に作成された延喜式神名帳に記載されている延喜式内社です。会津藩松平家の初代保科正之公も当社を崇敬、正之公の「磐椅神社の末社として自分を祀るよう」遺言により土津神社が創建されています。明治維新後の社格制定に際して県社に列格していました。

境内掲示による磐椅神社の由緒

当社は延喜式内勅祀社にして應神天皇の御代、神功皇后摂政の時、武内大臣の巡視のみぎり勅命を奉じ、国土開発の神なる大山祇命、埴山姫命を磐梯山の嶺に奉斎す。又元明天皇の御代、和銅年間の草創ともいわれる。聖武天皇の御代、天平元年八月二十五日、見祢山南麓に遷座し相殿として誉田和気命(應神天皇)、息長足姫命(神功皇后)を配祀す。
平城天皇の御代、大同元年夏、万代山破裂により社殿損障によって、嵯峨天皇の御代、弘仁四年、御造営される。文徳天皇の御代、斎衡三年正月「陸奥国 石椅神ニ加従四位下」と文徳実録に見ゆる。この神號、磐椅、岩椅、石椅に作りしを、明治二年、民政局より、磐椅(いわはし)との旨通達あつて改む。村上天皇の御代、天暦元年、勅使御差遣あり、由来を尋ねありし時、宸翰物及び桜樹を奉献せられ社殿修覆、奉幣の儀あり、この際の桜を大鹿桜と称す。土御門天皇の御代元久二年、猪苗代城主・三浦経連、社領八千余町の寄進あり、次で承元元年夏、現在の所に御遷座され杉を植え、此れを鳥居杉と称す。承久年間には三浦盛常二千三百町を寄進あり、伏見天皇の御代、正應年中、藤原氏の女、御皇戚の衰へ給へるを痛く歎き、私に神功皇后應神天皇の御影を鋳せられ神鏡金銀の幣額等を添えて永仁三年密使を以て奉献せらる。寛文年中保科正之公社殿の御造営あり、寛保三年閏四月十二日正一位の神階を授奉せらる。会津磐梯山は父なる山で母なる会津の里に豊作をもたらす神として、人々の信仰のよりどころであり磐椅神社は会津の土着の信仰に基づく神体山崇拝の神社で、磐椅明神、峰明神として信仰されている。(境内掲示より)


磐椅神社の周辺図