塩川町駒形神社。喜多方市塩川町町中町の神社

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塩川町駒形神社。源義家勧請、旧郷社

塩川町駒形神社の概要

塩川町駒形神社は、喜多方市塩川町町中町にある神社です。塩川町駒形神社は、鎮守府将軍源義家が、寛治5年(1091)清原武衡・家衡を征討のために向う途次、熊野堂鎮座熊野神社を新宮へ遷座(新宮熊野神社)させ、神輿を上江村(新江本)に停め神馬を献上したところ、馬の嘶きが7日間止まなかったことから、上江村(新江本)に当社を駒形神社と称して勧請したといいます。正保3年(1647)に当地へ遷座、駒形神社は相殿となり荒神社と称していました。明治5年に社号を復し郷社に列格していました。

塩川町駒形神社
塩川町駒形神社の概要
社号 駒形神社
祭神 宇気母智神
相殿 -
境内社 -
祭日 例大祭9月19日
住所 喜多方市塩川町町中町
備考 -



塩川町駒形神社の由緒

塩川町駒形神社は、鎮守府将軍源義家が、寛治5年(1091)清原武衡・家衡を征討のために向う途次、熊野堂鎮座熊野神社を新宮へ遷座(新宮熊野神社)させ、神輿を上江村(新江本)に停め神馬を献上したところ、馬の嘶きが7日間止まなかったことから、上江村(新江本)に当社を駒形神社と称して勧請したといいます。正保3年(1647)に当地へ遷座、駒形神社は相殿となり荒神社と称していました。明治5年に社号を復し郷社に列格していました。

境内掲示による塩川町駒形神社の由緒

駒形神社の由来
寛治五年鎮守府将軍源義家朝臣は、清原武衡、家衡を征討のため下降した折、当国あ河沼郡熊野堂村熊野神社を当郡新宮村に遷座された。そして神輿を上江村に暫時とめて、朝臣愛顧の名馬を献し神馬とした。その馬が嘶いて上天に去り、空中に嘶くこと七日に及んだと伝えられる。朝臣はその奇妙なのに感じて陸奥国胆沢駒ヶ峯(今の岩手県水沢市胆沢町)に鎮座している駒形神社(旧社格国幣中社。例祭九月十九日)を新たにこの地に勧請した。正保三年(今より三三二年前)駒形神社が塩川村に遷座され今日に至っている。(境内掲示より)

「福島県耶麻郡誌」による塩川町駒形神社の由緒

駒形神社
一祭神:宇氣母智神
一所在:鹽川町字中町鎮座
一由緒:社記曰寛治五辛未年鎮守府将軍源義家朝臣清原武衡征討の爲め下降の折當國河沼郡熊野堂村熊野神社を當郡新宮村に遷座せらる其節神輿を上江村(今の新江本村なり)に暫時駐めて朝臣愛顧の名馬を献し神馬とす。原に秣ふ後馬嘶て上天し去空中に聲あり、朝臣其奇なるに感し陸奥國(今の陸中の國)膽澤郡駒ヶ峯に座ます駒形神社を新に此地に勸請して霊跡を止む因て此地を名號して駒形原と云。原今尚存す。後正保三丙戌年當社を上江村より鹽川の村内に遷座す云々とあり。又舊藩主松平氏代々崇敬あり、祈年祭に金幣を献して祭祀を行はる。明治五年神社改正に付郷社に列せらる(舊社號荒神社といふ)。
一勧請;寛治五辛戌年
一祭日:九月十九日、二十日(「福島県耶麻郡誌」より)

新編會津風土記による塩川町駒形神社の由緒

(塩川組)荒神社
(境内東西十間、南北十三間免除地)村中ニアリ、縁起ニ天喜年中源義家朝臣阿部氏ヲ伐レシ時、祈願アリテ熊野三社ヲ河沼郡熊野堂村(代田組)ニ建立シ、其愛スル所連銭葦毛ノ駒ヲ献シテ神馬トシ駒形原ノ地ニ放牧ス、後ニ此馬天ニ升リ空中に嘶声アルコト七日、遠近是ヲ聞奇異ノ思ヲナセリ、仍テ馬頭観音ト祭リ熊野三社ヲモ此原ニ勧請シ三宝荒神ト崇祭ス、正保三年此所ニ移スト云(馬頭観音堂ノ条下ト併見ルヘシ)鳥居・幣殿・拝殿アリ
相殿二座
天王神。本村ヨリ移ス
駒形神。同上
別当北野院。本山派ノ修験ナリ、開山ヲ良伝ト云、現住慶順マテ十五世ナリ(新編會津風土記より)


塩川町駒形神社の周辺図


参考資料

  • 「福島県耶麻郡誌」