羽黒山西光寺。会津三十三観音御池観音堂
西光寺の概要
曹洞宗寺院の西光寺は、羽黒山と号します。西光寺は、天寧寺の住僧春広が、天正元年(1573)に草創したといいます。境内の御池観音堂は、もとは村の北寄りにあったものを、当寺住持郭瑞が享保8年(1723)に当地へ移したものだといいます。聖観音像は、弘法大師の作で集落地内の蓮池から出現したと伝えられ、会津三十三観音33番となっています。
山号 | 羽黒山 |
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院号 | - |
寺号 | 西光寺 |
住所 | 河沼郡会津坂下町大字御池田寺ノ前152 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
西光寺の縁起
西光寺は、天寧寺の住僧春広が、天正元年(1573)に草創したといいます。境内の御池観音堂は、もとは村の北寄りにあったものを、当寺住持郭瑞が享保8年(1723)に当地へ移したものだといいます。
新編会津風土記による西光寺の縁起
(御池村)西光寺
(境内東西十六間、南北十七間、年貢地)村ヨリ亥ノ方一町ニアリ、羽黒山ト号ス、曹洞宗、天正元年会津郡南青木組天寧寺天寧寺ヨリ春広ト云僧来テ当寺ヲ草創シ、天寧寺ノ末山トナル、本尊観音客殿ニ安ス
観音堂。境内ニ入テ左ニアリ、正観音ヲ安ス、坐像長七寸八部、会津三十三所順礼ノ一ナリ、此堂モトハ村ノ北ニツツキテアリシカ、堂舎破壊セシヲ寛文ノ頃行人重海ト云モノココニ来リ、其地ニ小庵ヲ営テコレヲ安ス、其後享保八年西光寺住侶郭瑞カトキココニ移ストイフ、旧地ニ堂屋敷ト云字ノコレリ(新編会津風土記より)
西光寺所蔵の文化財
- 御池観音堂
御池観音堂
御池観音堂
第33番札所である御池観音堂は、会津三十三観音の結願所となる。
本尊に安置される聖観音菩薩像は坐像長8寸、弘法大師の作で集落地内の蓮池から出現したという言い伝えがある。
明治末期には寺院の消失で一時紛失したが、昭和初期に第19世住職が本堂裏での畑地耕転時に発見した。
御詠歌
まいるより 恵も深き御池の 池の蓮は我を待つらん(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)
西光寺の周辺図