寶光山妙國寺。日什上人生誕地、日蓮宗由緒寺院
妙國寺の概要
日蓮宗寺院の妙國寺は、寶光山と号します。妙國寺は、顯本法華宗の開祖で、日蓮聖人の再来とも云われた日什上人の生誕・入寂地である滝沢に、日什上人の高弟日仁上人が慶永元年(1394)に開山したといいます。日什上人は、顯本法華宗の本山京都妙満寺の他、法華山本興寺などを開創、また経王山本光寺などを改宗するなどした著名な僧侶です。また明治維新に際しては、会津藩主松平容保・喜徳父子が当寺に謹慎していた他、白虎隊士の一部が仮埋葬されたことでも知られています。
山号 | 寶光山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙國寺 |
住所 | 会津若松市一箕町大字八幡墓料 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙國寺の縁起
妙國寺は、顯本法華宗の開祖で、日蓮聖人の再来とも云われた日什上人の生誕・入寂地である滝沢に、日什上人の高弟日仁上人が慶永元年(1394)に開山したといいます。日什上人は、顯本法華宗の本山京都妙満寺の他、法華山本興寺などを開創、また経王山本光寺などを改宗するなどした著名な僧侶です。
「北会津郡誌」による妙國寺の縁起
日蓮宗宝光山妙国寺
一箕村滝沢ニ在リ享保以前ハ宝塔山ト号セシト滝沢町妙法寺ノ末寺ニシテ妙法寺ノ開山日什ガ墓所アリ日什塔アリ五輪ニシテ日什聖人明徳三壬申二月某日ト彫ス(「北会津郡誌」より)
境内掲示による妙國寺の縁起
寶光山妙國寺
日什器大正師略歴
正和三年(一三一四)当滝沢に誕生。十九歳比叡山に登り出家得度、名を玄妙と称す。研鑽三十八年一山の学頭に昇る。五十八歳故郷会津へ帰り羽黒山東光寺に住す。たまたま日蓮聖人のご遺文を閲読、時期相応の妙教正しくこの宗旨にあることを悟。六十七歳下総真間弘法寺に赴き、天台から日蓮へ改宗し、名を日什と改める。
鎌倉、京都を幾度か往返し、朝廷、武家への奉聞諌暁幾回、日蓮聖人の再誕を思わせる。
京都に弘通の根本道場妙満寺を創建、二位僧都に叙せらる。七十二歳直授日蓮経巻相承の一流を開く即ち顯本法華宗である。その間各地に新寺を建立。七十八歳再び会津へ帰る。
翌明徳三年(一三九二)七十九歳入寂。父母の旧地で荼毘し、高弟日仁上人が庵を結び朝夕香花を手向ける。これが妙國寺である。
昭和十六年日蓮宗に合同す。(境内掲示より)
妙國寺所蔵の文化財
- 白虎隊士自刃仮埋葬地
白虎隊士自刃仮埋葬地
宝光山妙国寺(ほうこうざんみょうこくじ)は、顯本法華宗(けんほんほっけしゅう)開祖の日什上人(にちじゅうしょうにん・1314~1392)が誕生・入滅した霊場である。
戊辰戦争直後、会津藩主松平容保(かたもり)・喜徳(よしのり)父子がしばらくこの寺に謹慎した。また、飯森山(いいもりやま)で自刃した白虎隊士の一部の遺体が仮埋葬された所でもある。(境内掲示より)
妙國寺の周辺図
参考資料
- 「北会津郡誌」