綾金観音堂。会津三十三観音3番
綾金観音堂の概要
喜多方市豊川町にある綾金観音堂は、会津三十三観音めぐり3番札所です。綾金観音堂は、葦名遠江戸守盛宗が元弘元年(1331)に建立、十一面観音像を安置したといいます。僧坊を20以上擁した大寺院でしたが、天正年間(1573-1593)に戦乱に巻き込まれ焼失、寛文年間(1661-1672)に僧石伝が再興したといいます。
山号 | 長流山 |
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院号 | - |
寺号 | 金泉寺 |
住所 | 喜多方市豊川町米室綾金155 |
宗派 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
綾金観音堂の縁起
綾金観音堂は、葦名遠江戸守盛宗が元弘元年(1331)に建立、十一面観音像を安置したといいます。僧坊を20以上擁した大寺院でしたが、天正年間(1573-1593)に戦乱に巻き込まれ焼失、寛文年間(1661-1672)に僧石伝が再興したといいます。
境内掲示による綾金観音堂の縁起
日本遺産会津の三十三観音めぐり
綾金観音堂
金泉寺境内にある。元弘元年(1331)葦名盛宗が建立し、十一面観音像を安置したとされる。この頃は20を超える僧房があり、隆盛を極めていたが、天正年間(1573~1593)に兵火にかかり、寛文年間(1661~1672)に石伝という僧が再興したと伝えられる。
本尊十一面観世音(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)
「福島県耶麻郡誌」による綾金観音堂の縁起
第三番綾金
豊川村字綾金元長流山金泉寺境内に在り十一面觀音(長三尺四寸餘)の立像を安置す古佛なり 元弘元年葦名遠江戸守盛宗一堂を建立し此像を安す 天正中兵變に罹りしを寛文中石傳といふ僧再興せり
つゆの身の ゆめまほとしの世の中に 身をあやかねといて いのるらん(「福島県耶麻郡誌」より)
「新編会津風土記」による綾金観音堂の縁起
(綾金村)金泉寺
(境内十九間四方、年貢地)村西一町十間余ニアリ、長流山ト号ス、曹洞宗慶徳村慶徳寺ノ末山ナリ、開基ノ年月詳ナラス、寛永中慶徳寺六世高照ヲ請テ開山トス地蔵ヲ本尊トシ客殿ニ安ス
観音堂。境内ニアリ、十一面観音ヲ安ス、長三尺四寸余、立像古仏ナリ、元弘元年葦名遠江守盛宗一堂ヲ建立シ此像ヲ安ス、其頃ハ僧房二十余宇アリテ巨宏ナリシトソ、天正中兵變ニ罹リ堂舎烏有ス、寛文中石伝ト云僧再興セリ、会津三十三順礼ノ一ナリ(「新編会津風土記」より)
綾金観音堂の周辺図
参考資料
- 「福島県耶麻郡誌」
- 「新編会津風土記」
関連ページ
- 物寶山良縁寺(曹洞宗)
- 喜多方市豊川町松舞家