普光山大同寺。喜多方市慶徳町にある曹洞宗寺院
大同寺の概要
曹洞宗寺院の大同寺は、普光山と号します。大同寺は、大同年間(806-810)に律宗寺院として創建、寛正年間(1460-1466)に新宮次郎盛俊が先祖の位牌を当寺に安置、瑚海が曹洞宗寺院として開山したといいます。
山号 | 普光山 |
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院号 | - |
寺号 | 大同寺 |
住所 | 喜多方市慶徳町慶徳町新宮熊野2263 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
大同寺の縁起
大同寺は、大同年間(806-810)に律宗寺院として創建、寛正年間(1460-1466)に新宮次郎盛俊が先祖の位牌を当寺に安置、瑚海が曹洞宗寺院として開山したといいます。
「喜多方市史」による大同寺の縁起
大同寺(慶徳町新宮)
『新編会津風土記』によると、普光山といい、越後村上耕雲寺の末寺。もとは律宗で大同年中(八〇六~一〇)の開基の寺。寛正中(一四六〇~六六)新宮次郎盛俊が先祖の位牌をこの寺に安置し、曹洞禅宗の僧、瑚海を住職にした。天正己丑(天正十七年・一五八九)のいくさの火で堂宇が廃壊したが、新宮氏の旧臣が再興した。如意輪観音が本尊とある。『新編会津風土記』の編者は、寛正中に新宮盛俊が当寺に位牌を安置したことに対し、新宮氏は応永二十七年(一四二〇)に亡びたというので、寛正中というのは疑問であるとしている。また、当寺は、元木曽組寺内(山都町)にあったのを新宮氏がこの地に移したという伝えがあると記している。
大同寺の本山耕雲寺は、曹洞宗本山総持寺山内五院のうち普蔵院の末寺。耕雲寺派の本山で、会津では、天寧寺・勝方寺(会津坂下町)・松沢寺(会津高田町)・大同寺が末寺であった。『延享度曹洞宗寺院本末牒』耕雲寺末に「一除地 同国(陸奥国)耶麻郡新宮村大同寺」とある。(「喜多方市史」より)
大同寺の周辺図
参考資料
- 「喜多方市史」