大光寺。福島県喜多方市塩川町にある曹洞宗寺院

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福聚山大光寺。喜多方市塩川町にある曹洞宗寺院

大光寺の概要

曹洞宗寺院の大光寺は、福聚山と号します。大光寺の創建年代等は不詳ながら、草創一千年以上の古刹で、かつては堂宇170~180、坊院36を擁する大寺だったと伝えられます。その後荒廃した当寺を越後から来た僧侶安翁が再興、慶長年間(1596-1615)に示現寺末寺の曹洞宗寺院となったといいます。当寺観音堂は遠田観音堂と称され、会津三十三観音9番札所となっています。

大光寺
大光寺の概要
山号 福聚山
院号 -
寺号 大光寺
住所 喜多方市塩川町遠田字谷地中3227
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



大光寺の縁起

大光寺の創建年代等は不詳ながら、草創一千年以上の古刹で、かつては堂宇170~180、坊院36を擁する大寺だったと伝えられます。その後荒廃した当寺を越後から来た僧侶安翁が再興、慶長年間(1596-1615)に示現寺末寺の曹洞宗寺院となったといいます。当寺観音堂は遠田観音堂と称され、会津三十三観音9番札所となっています。

境内掲示による大光寺の縁起

日本遺産会津の三十三観音めぐり
遠田観音堂
福聚山大光寺
伝承では、旧観音堂は、七間四方の観音堂であり、柱には金を使用し、屋根は檜皮葺とした壮麗な建物であったという。堂内には千手観音を安置している。
本尊千手観世音(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)

「新編会津風土記」による大光寺の縁起

(上遠田村・下遠田村)
大光寺
(境内東西二十六間、南北三十一間、年貢地)下遠田村ニアリ、曹洞宗五目組熱塩村示現寺ノ末山ナリ、山号ヲ福聚山ト云、此寺千年余ノ古刹ニテ旧七間四面ノ観音堂アリ、柱ハ金を鏤メ屋ハ檜皮葺ナリ、其外三重塔ヲ始メ百七八十ノ堂宇ニ三十六ノ坊院壮麗ヲ極メシユエ大光寺ト名ケシトソ、今二王堂河原ト云モ此寺ニアリシ二王堂ノ迹ナリシトソ(村ノ東南沼上村ノ境内ニアリ)、又田畠ノ字ニ五輪堂ト云処アリ(村南ニアリ)、コレモ此寺旧大刹ニテ耶麻一郡ノ高野ト称シ、地侍ノ五輪石塔多クアリシユエノ名ナリト云、寺領ハ三百貫文、其外年々施餓鬼ノ料モアリシユエ施餓鬼田ト云地名モアリ(村北ニアリ)、其後イツノ頃ヨリカ寺料ヲ失ヒ堂宇毀破セシヲ、越後国ヨリ安翁ト云僧来テ此寺ヲ再興セリ、其徒弟存茂慶長ノ頃此寺ニ住シ始テ示現寺末山トナル、観音堂ニ安置セル千手ノ木像ハ運慶作ニテ霊験モ多クアリ、其外仏仏多カリシカ数度ノ回禄ニコレヲ失ヒ、今ハ災後ニ造レル新像ノミナリ、又此寺ノ続キ五所宮ト云所アリ、此モ旧此寺ノ境内ニテ五所権現トテ稲荷・祇園・加茂・春日・天神ノ五座ヲ祭リ一村ノ鎮守ナチシト云、今ハナシ、本尊釈迦客殿ニ安ス
薬師堂。境内ニアリ
観音堂。同上、千手観音ヲ安ス、脇立不動毘沙門(「新編会津風土記」より)

「耶麻郡誌」による大光寺の縁起

第九番遠田
堂島村字下遠田福聚山大光寺境内に在り千手観音を安す脇立に不動・毘沙門あり
のちの世を ねかふこころを てらすらん とほたの沖に 出る月みる(「耶麻郡誌」より)


大光寺の周辺図


参考資料

  • 「新編会津風土記」
  • 「耶麻郡誌」