巻尾山慶徳寺。源翁禅師開山
慶徳寺の概要
曹洞宗寺院の慶徳寺は、巻尾山と号します。慶徳寺は、法王能昭禅師源翁和尚が応安元年当地に来て草庵を営んでいたところ、領主蘆名詮盛の帰依を受けて翌年一宇を建立、紫雲山慶徳寺と称したといいます。源翁和尚は、その後永和元年に示現寺を開基し、応永2年当寺に戻った後に逝去、住僧も5世で途絶え荒廃したものの、示現寺15世齢巖和尚が再興したといいます。
山号 | 巻尾山 |
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院号 | - |
寺号 | 慶徳寺 |
住所 | 喜多方市慶徳町豊岡今町288 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
慶徳寺の縁起
慶徳寺は、法王能昭禅師源翁和尚が応安元年当地に来て草庵を営んでいたところ、領主蘆名詮盛の帰依を受けて翌年一宇を建立、紫雲山慶徳寺と称したといいます。源翁和尚は、その後永和元年に示現寺を開基し、応永2年当寺に戻った後に逝去、住僧も5世で途絶え荒廃したものの、示現寺15世齢巖和尚が再興したといいます。
「福島県耶麻郡誌」による慶徳寺の縁起
巻尾山 慶徳寺
慶徳村字慶徳に在り
一宗派:曹洞宗
一本山:護法山 示現寺 熱鹽村
一開山創立:應安元戊申年三月七日法王能昭禅師源翁和尚開山同二年八月二十八日創立夫れ當山開山源翁禅師は能登國總持寺第二祖の法嗣なり。然るに應安元年此地に来りて草庵を結ひ其時の領主蘆名詮盛獵に出て此草庵の邊に紫雲の浮ふを望み源翁の道骨あるを知り来り見て其徳を崇敬し一宇を建設し爰に住せしむ。因て紫雲山慶徳寺と號す。半年餘にして雲水の僧侶二百餘集り其後永和元年に示現寺を開基す。又應永二年の春再ひ来て當寺に宿せり。然るに野須野ヶ原殺生石の霊現はれ白狐に變して尾を巻て蹲踞せしか十一面観音薩埵薩埵の相を現はし前の山に向て飛去り其の殘れる尾は山となる。故に禅師自ら稲荷を安置し夫より山號を改めて巻尾山と云々。後法弟劫外和尚を二世に嗣て退院す。夫より五世峯和尚まて住僧連續し其後暫く住僧なき事久し。故に伽藍も大破に及ふ。然るに文禄二巳年中示現寺十五世齢巖和尚来て古の寺跡字寺町を改めて山麓に移して一宇を建設し。夫より示現寺の末寺と定め其後十三世本梁和尚の代堂宇大破に及ひしを再興す。寛政五癸丑年金鯨和尚の代に今庫裡を建設し嘉永四辛亥年二十六世雪巖和尚の時開山堂を建立す。即ち開山源翁禅師創立の應安元年より今年(明治十一年)に至る五百住一年に及ひ住僧二十八世に及ふ。(「福島県耶麻郡誌」より)
慶徳寺の周辺図
参考資料
- 「福島県耶麻郡誌」