松野観音堂。福島県喜多方市慶徳町松舞家井にある観音堂

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松野観音堂。会津三十三観音2番

観音堂の概要

喜多方市慶徳町にある松野観音堂は、会津三十三観音めぐり2番札所です。松野観音堂は、廃寺となった千光寺の観音像を、慶長16年に当地の村民が観音堂を建立、安置したといいます。元禄7年(1694)火災により観音像もとろも焼失してしまい、荒廃するのを嘆いた村民星某が新たに仏像を造像、萌えてしまった観音像の灰を胎内に納めたといいます。千光寺は、天平年間に行基菩薩が開基したと伝えられる古刹でしたが、鎌倉末期以降の戦乱によりいつしか廃寺となったと伝えられます。御朱印は物寶山良縁寺で受け付けています。

観音堂
観音堂の概要
山号 -
院号 -
寺号 松野観音堂
住所 喜多方市慶徳町松舞家井16
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



松野観音堂の縁起

松野観音堂は、廃寺となった千光寺の観音像を、慶長16年に当地の村民が観音堂を建立、安置したといいます。元禄7年(1694)火災により観音像もとろも焼失してしまい、荒廃するのを嘆いた村民星某が新たに仏像を造像、萌えてしまった観音像の灰を胎内に納めたといいます。千光寺は、天平年間に行基菩薩が開基したと伝えられる古刹でしたが、鎌倉末期以降の戦乱によりいつしか廃寺となったと伝えられます。

境内掲示による松野観音堂の縁起

日本遺産会津の三十三観音めぐり
松野観音堂
もとの本尊は千光寺の仏像であったとされる。元禄7年(1694)の火災で像が燃えてしまったため、その後、観音堂の荒廃するのを危惧した星某という者が新たに像を作った。その際に燃えた像の灰をその像の中に納めたと伝えられる。
本尊千手観世音(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)

「福島県耶麻郡誌」による松野観音堂の縁起

第二番松野
慶徳村字松野に在り本尊もと千光寺(天平年中釋行基の開基なりしか元弘・建武以来の兵亂の爲め頽廃せり)の靈像なり慶長十六年八月堂宇盡く顛倒せしかは村民此地に小堂を建て此像を安置せしか元禄七年五月火災ありて灰燼となる其後星某之を悲み新に觀音の像を作り舊像の餘燼を軀中に納め小堂を營みて安置せしと
あさひさす ゆふひかゝやく大山寺 まつのゝ里に はるゝうすくも(「福島県耶麻郡誌」より)

「新編会津風土記」による松野観音堂の縁起

観音堂
(境内東西二十六間、南北七間、免除地)村中ニアリ、修験自性院司ナリ、本尊ハモト千光寺ノ霊像ナリ、慶長十六年八月堂宇尽顛倒セシカハ、村民此地ニ小堂ヲ構テ此像ヲ安置ス(下ノ千光寺跡ノ条、下ト併見ヘシ)元禄七年五月火災アリテ観音・地蔵ノ両像倶ニ灰燼トナル、其後星某ト云モノ霊跡ノ荒廃スルヲ悲テ、新ニ観音ノ像ヲ作リ、旧像の余燼ヲ軀中ニ納メ、小堂ヲ営テ是ヲ安置ス、会津三十三所順礼ノ一ナリ(「新編会津風土記」より)


観音堂の周辺図


参考資料

  • 「福島県耶麻郡誌」
  • 「新編会津風土記」

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