龍興寺。福島県大沼郡会津美里町にある天台宗寺院

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道樹山龍興寺。天海大僧正得度、大僧正感応の浄身観音、離悩不動

龍興寺の概要

天台宗寺院の龍興寺は、道樹山と号します。龍興寺は、慈覺大師が嘉祥元年(848)に開山したと伝えられ、僧惠雲が応安年間(1368-1374)に再興したといいます。僧舜幸の代に、後に天海大僧正となる舟木兵太郎(随風)が得度、随風が感得した浄身観音は現観音菩薩の胎内仏として奉安され、会津三十三観音の番外1番となっています。当寺には天海僧正両親の墓(町指定史跡)の他、国宝の一字蓮台法華経開結共九巻、絹本著色両界曼荼羅二幅(県指定文化財)などの寺宝を有し、不動明王像は会津五色不動の離悩不動となっています。(天海大僧正は、蘆名氏一族の出生とされ、小仙波喜多院の住持を勤め、東叡山寛永寺を創建、江戸幕府に深く関与した名僧です)

龍興寺
龍興寺の概要
山号 道樹山
院号 -
寺号 龍興寺
住所 大沼郡会津美里町字龍興寺北甲2222-3
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 -



龍興寺の縁起

龍興寺は、慈覺大師が嘉祥元年(848)に開山したと伝えられ、僧惠雲が応安年間(1368-1374)に再興したといいます。僧舜幸の代に、後に天海大僧正となる舟木兵太郎(随風)が得度、随風が感得した浄身観音は現観音菩薩の胎内仏として奉安され、会津三十三観音の番外1番となっています。

「福島県大沼郡誌」による龍興寺の縁起

龍興寺(天台宗)
高田町に在り、道樹山と號す、大本山は比叡山延暦寺にして、上野新田郡世良田村長楽寺末に屬し、小本山の格を有し、本尊阿彌陀如来なり、嘉祥元年慈覺大師の開山にして、應安年中僧惠雲再興し、勅宣に因り灌頂山となる。僧舜幸の時天海之を師として得度せり、其後高備中なるもの再興し、寛永六年火災に罹り舊記悉く灰燼となる。寺寶に法華經七巻、五大尊三幅、蘇東坡竹繪一幅、水晶數珠一連、胎金曼荼羅二幅、文殊畫像一幅、不動畫像一幅、地蔵畫像一幅、誕生釋迦一幅、いんす天神像一軀等あり、その法華經は一字蓮臺法華經と稱して最も稀觀たり、境内八百六十壹坪、官有地にして持添地廿一筆、合せて凡そ壹町四段五畝七歩を算す、
浄身觀音堂。高田村に在り、龍興寺之を司る、堂宇内に秘佛として觀世音の像を納む、傳に云ふ、僧天海の所持せしものなりと、又天海の木像一軀あり、境内地八十八坪、官有地なり、會式は九月十六日なり、(「福島県大沼郡誌」より)

会津三十三観音番外1番札所浄身観音堂について

浄身観音は、徳川家康・秀忠・家光に仕えた天海大僧正と縁の深い観音様である。
12歳だった舟木兵太郎(後の天海大僧正)が夢告に、浮目(うきめ)というところの水田を掘ったところ、土仏の十一面観音像を発見したという。永禄2年(1559)にこの土仏を模して浄林が木造の観音像をつくり、その土仏を胎内に納めたといわれている。
もとの観音堂は、ここより約500m南にあったが、現在は龍興寺の境内に移されている。
龍興寺は天海大僧正が出家得度したことや、平安時代の国宝「一字蓮台法華経」を所有していることから、古い寺院であったことを伺い知ることができる。(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)

会津三十三観音番外1番札所浄身観音堂について

会津三十三観音巡禮札所番外
浄身観音略縁起
ご本尊十一面観世音菩薩は慈眼大師天海大僧正(幼名舟木兵太郎、得度名随風一五三六-一六四三)が幼少のころ、漆原と永井野の村境字浮目の地より感得した一寸八分の観音像である。生来、聡明で純心な沙弥(少年僧)随風は師僧の舜幸法印(当寺二十九世)に従って修行していた時-何時、一心に称名せよ、我れ必ず富貴延寿を成満せん、然願むねしからず月の影に添うが如し-との観音の霊告に、日夜肌身はなさず一心に念持した。
随風は、のちに名を「天海」と改め徳川家康公より三代にわたる指南僧の大任を務め百八才の大長寿を全うされた近世の名僧である。小観音の尊像は随風が比叡山・奈良興福寺等へ遊学修行に出立の折、篤信の母上に留めおかれ持佛堂(浮身殿)の建立と共に永禄二年(一五五九)佛師浄林によって御丈一尺八寸の漢音御胎内に奉籠された。
霊験あらたかな、この観音を人々は「浮身観音」と尊称し近隣講中の信心にささえられて今日に至っている。
ご開帳祭礼旧九月十六日
お詠歌
浮身をば たすけ給えや 観世音 みちびきたまえ 弥陀の浄土へ
龍興寺 浮身伝 記(境内掲示より)


いいお墓

龍興寺所蔵の文化財

  • 一字蓮台法華経開結共九巻(国宝)
  • 絹本著色両界曼荼羅二幅(県指定重要文化財)
  • 天海僧正両親の墓(町指定史跡)

一字蓮台法華経開結共九巻

一字ずつを美しく彩色した蓮華座に乗せたもので、一字三礼といい、如法写経のこころからゆきついた最高の荘厳経といえる。蓮台は緑・藍・淡黄・朱・白描と彩りを変え、和様書体との美しい調和を見せている。
平安時代藤原期の作で、県内にある国宝二つの内の一つである。(会津美里町教育委員会掲示より)

絹本著色両界曼荼羅二幅

二幅とも縦二・一三メートル、横一、四二メートルあり、仕立は図描表具掛軸である。これは、大日経による胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅からなり、真言密教の根本をなすものである。裏書に文亀三(一五〇三)癸亥九月二七日とあり、室町期の文化財である。(会津美里町教育委員会掲より)

天海僧正両親の墓

墓地内に五輪塔二基がある。大正四年に黒板・辻両博士の調査で発見確認された。当寺は天海縁の寺であり、また天海誕生地と伝えられる場所も近くにある。(会津美里町教育委員会掲示より)

龍興寺の周辺図


参考資料

  • 「福島県大沼郡誌」

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