高田山天王寺。会津三十三観音28番
天王寺の概要
天台宗寺院の天王寺は、高田山観音院と号します。天王寺は、基慶元年光孝天皇の皇子、観祐法印大徳の発願により開山、境内の高田観音(轟観音)は、会津三十三観音の28番となっています。
山号 | 高田山 |
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院号 | 観音院 |
寺号 | 天王寺 |
住所 | 大沼郡会津美里町字高田甲2968 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
天王寺の縁起
天王寺は、基慶元年光孝天皇の皇子、観祐法印大徳の発願により開山、境内の高田観音(轟観音)は、会津三十三観音の28番となっています。
「福島県大沼郡誌」による天王寺の縁起
天王寺(天台宗)
高田町に在り、高田山と號し、本山は高田町龍興寺なり、觀祐法印の開山にして、本尊は阿彌陀如来なり、境内千六十壹坪、民有地なり、持添地田畑八筆あり、境外に觀音堂あり、十一面觀世音を安置す、會式八月十日なり、境内地三百七十四坪、官有地なり、天王寺之を司る(「福島県大沼郡誌」より)
境内掲示による天王寺の縁起
天台大師壱千四〇〇年記念発願観音堂屋根並諸堂改修と境内整美趣意書
當山は基慶元年光孝天皇の皇子、観祐法印大徳の発願により建立せられ会津高田の大悲霊場として、御開創以来、戦災、火災等にあい、鎌倉、戦国、江戸、幕末をへて、明治初期、渋沢兼平氏、浅野円平氏、坂内辰平氏、の三平が中心となり町民各位の協力により再建、その後壱百拾年の月日が過ぎ、屋根諸堂は老朽し現在に至っております。以上の事からこれを記念し御遺徳を讃仰し、報恩謝徳の誠を捧げたいと念願し進めております。何卒この趣意をご理解の上、浄業達成のために御参拝者各位の御協賛と御寄進を賜りたく謹んで御願い申し上げます。
高田観音(轟観音) 高田山観音院天王寺 山主敬白(境内掲示より)
天王寺の周辺図
参考資料
- 「福島県大沼郡誌」