福寿山観音寺。会津三十三観音13番の舘観音堂
観音寺の概要
真言宗豊山派寺院の観音寺は、福寿山と号し、館観音堂と称されます。観音寺の創建年代等は不詳ながら、僧円智が天正3年(1575)に補修したものの、伊達政宗の会津侵攻により天正16年(1588)炎上、その後年不詳ながら再興したといいます。本尊聖観世音菩薩は、慈覚大師円仁作(794-864)と伝えられ、会津三十三観音13番となっています。御朱印は境内公民館御朱印所でいただけます。
山号 | 福寿山 |
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院号 | - |
寺号 | 観音寺 |
住所 | 会津若松市北会津町館17 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
観音寺の縁起
観音寺の創建年代等は不詳ながら、僧円智が天正3年(1575)に補修したものの、伊達政宗の会津侵攻により天正16年(1588)炎上、その後年不詳ながら再興したといいます。本尊聖観世音菩薩は、慈覚大師円仁作(794-864)と伝えられ、会津三十三観音13番となっています。
「北会津郡誌」による観音寺の縁起
真言宗福寿山観音寺
荒井村三伏にあり若松市一桂院ヲ本山トシ地蔵ヲ本尊トス天正三年円智ト云フ僧修補セルモ十六年兵火ノタメ炎上シ其後再興今ニ至ル(「北会津郡誌」より)
境内掲示による観音寺の縁起
福聚山観音寺
(由来変遷)
草創不詳ながら、天正三年(一五七五年)円智という僧修補せるも、同十六年の伊達勢進攻による兵火にて炎上、その後再興し今に至る。(北会津村の文化財から)
(聖観世音像)
慈覚大師(円仁と同人物七九四年~八六四年)作の観音菩薩との伝承あり(88新書から)。立像高さ一メートル四センチ五ミリ。
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会津三十三札所巡りの由来
保科正之公(会津藩祖)が、西国の札所巡りは時間と費用がかかるので会津に三十三札所を定めました。
旧大沼郡は十ヶ所で十善戒をあらわし、旧河沼郡は五ヶ所で五智の如来、旧耶麻郡は九ヶ所で九品浄土、会津北部は六ヶ所で六道教化、そしてここ旧北会津村三ヶ所は、身・口・意の三業清浄を意味して定められました。
札所の指定は、村人の誇りとなりお堂の建替にあたっては、当村の女方が近隣の村々に早乙女踊りを披露して廻るなど、資金づくりに苦労しながらも永く守り続けてきています。(境内掲示より)
観音寺の周辺図
参考資料
- 「北会津郡誌」
関連ページ
- 小野寺山大慈寺(-)
- 慈覚大師が得度した寺院