鳥追観音堂。福島県耶麻郡西会津町にある観音堂

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鳥追観音堂。会津三十三観音番外総結願、会津ころり三観音

観音堂の概要

耶麻郡西会津町にある鳥追観音堂は、金剛山如法寺境内にある観音堂で、会津三十三観音めぐり番外列格の総結願所・会津ころり三観音の一です。鳥追観音堂は、天平8年(736)行基が農夫に授けたと伝えられる観音像を奉安したのが草創と伝えられ、大同2年(807)に法相宗の徳一菩薩が会津西方浄土として開創したといいます。しばしば罹災したものの都度再建、現観音堂は、慶長16年(1611)の会津大地震後に、会津藩筆頭家老岡半兵衛重政が再建したもので、東から入って参拝したら西へ抜ける「東西向拝口」の構造で西方浄土を祈願したものだといわれ、日光東照宮造営にも携わった名匠左甚五郎作の「隠れ三猿」も彫刻された華美な堂宇です。

観音堂
観音堂の概要
山号 金剛山
院号 -
寺号 如法寺
住所 耶麻郡西会津町野沢如法寺乙3533
宗派 -
葬儀・墓地 -
備考 -



鳥追観音堂の縁起

鳥追観音堂は、天平8年(736)行基が農夫に授けたと伝えられる観音像を奉安したのが草創と伝えられ、大同2年(807)に法相宗の徳一菩薩が会津西方浄土として開創したといいます。しばしば罹災したものの都度再建、現観音堂は、慶長16年(1611)の会津大地震後に、会津藩筆頭家老岡半兵衛重政が再建したもので、東から入って参拝したら西へ抜ける「東西向拝口」の構造で西方浄土を祈願したものだといわれ、日光東照宮造営にも携わった名匠左甚五郎作の「隠れ三猿」も彫刻された華美な堂宇です。会津ころり三観音の一、会津三十三観音番外列格の総結願所となっています。

境内掲示による鳥追観音堂の縁起

会津三十三観音番外札所3
鳥追観音 如法寺
当山は、奈良より来たりて、仏都会津の祖となった法相宗僧・徳一菩薩が「会津西方浄土」として開創された。
その時、記念植樹された高野槙は東北最大で、県天然記念物となっている。
現観音堂は、慶長16年(1611)の大地震で倒壊後、会津藩筆頭家老・岡半兵衛重政により再建された。東から入り参拝後、西から出る全国でも珍しい「東西向拝口」の御堂で、観音様の導きにより西方浄土への安楽往生を祈願したものである。
「隠れ三猿」の彫刻は、名匠・左甚五郎作と伝えられる。
また、慶応4年8月、戊辰戦争で野沢に出陣していた会津藩主松平容保公は、若松城へ帰還する時、戦勝祈願に訪れている。(「極上の会津プロジェクト協議会”会津の三十三観音めぐり”ストーリー」掲示より)

新編会津風土記による鳥追観音堂の縁起

観音堂
(境内東西三十八間、南北二十六間半、年貢地)町ノ南十二町二十間ニアリ、七間余ニ四間余、南向、正観音ヲ安ス、行基作ト云秘仏ナリ、コノ堂大同二年(旧事考ニハ大同元年ノ記に載ス)徳溢ノ創建ナリシカ、屡火災ニ罹リ、マタ慶長十六年ノ自身ニ毀顛セシヲ、同十八年蒲生家ノ臣岡半兵衛重政建立ス、其時ノ宗フア寛文ノ頃マテアリシカ今ハナシ、写アレハ左ニ載す、又如法寺承和二丙戌年七月十七日ト彫附シ鰐口アリシカ、コレモ今ハナシ、棟札ノ文如左
慶長十六辛亥年八月廿一日辰剋大地震有ノ御堂摧破攸右建立成就者大檀那岡野半兵衛殿現世安穏後生善生一一如意所
御本尊執金剛神 金剛山如法寺別当贈権大僧都頼誉
一神半文助成輩同遊九品蓮台上生乃至有無両縁群類衆生平等利益
同慶長十八癸丑年七月廿一日建立成就攸敬白
二王門。本堂ノ東ニアリ、三間半ニ二間二勺、東向、左右ニ力士ノ像ヲ安ス、長一丈、運慶作ト云
別当如法寺。本堂ノ北ニアリ、金剛山ト号ス、府下大和町金剛寺ノ末寺、真言宗ナリ、大同徳溢コノ地ニ観音ヲ安置ス、其時ノ創建ト云、後元享三年八月修覆ヲ加フトソ
客殿。七間ニ六間、東向、本尊弥陀
鐘楼。客殿ノ前ニアリ、鐘径一尺六寸、享保三年ノ銘アリ、モト奥州会津野沢如法寺大鐘伏願皇家万歳檀門千秋幹縁緇素志願成就貞治二癸卯年七月日(旧事雑考ニ十月日ニ作リ、下ニ比丘法羽謹誌ノ六字アリ)ト彫附属アル古鐘ヲコノ時改鋳ルト云
山王神社。客殿ノ巳ノ方ニアリ
弁天堂。客殿ノ辰ニアリ(新編会津風土記より)


いいお墓

鳥追観音堂の周辺図


参考資料

  • 「福島県耶麻郡誌」

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