相馬太田神社。相馬孫五郎重胤公の妙見堂、相馬三妙見社
相馬太田神社の概要
相馬太田神社は、南相馬市原町区中太田にある神社です。相馬太田神社は、元享3年(1323)に相馬孫五郎重胤公が茨城県守谷から当地へ御国換となった際、妙見尊を奉遷して妙見堂を創建、江戸期を通じて相馬藩で崇敬されてきたといいます。明治維新後の神仏分離により太田神社と改称、行方郡の郷社に列格、明治29年県社に列しています。相馬中村神社、相馬小高神社とともに相馬三妙見社の一つとして相馬野馬追が当地から出陣することでも著名です。
社号 | 太田神社 |
---|---|
祭神 | 天之御中主大神 |
相殿 | - |
境内社 | 白山社、足緒神社、太神宮 |
祭日 | - |
住所 | 南相馬市原町区中太田館腰139 |
備考 | - |
相馬太田神社の由緒
相馬太田神社は、元享3年(1323)に相馬孫五郎重胤公が茨城県守谷から当地へ御国換となった際、妙見尊を奉遷して妙見堂を創建、江戸期を通じて相馬藩で崇敬されてきたといいます。明治維新後の神仏分離により太田神社と改称、行方郡の郷社に列格、明治29年県社に列しています。
「原町市史」による相馬太田神社の由緒
本社は妙見社と称され、旧相馬家の氏神として当地方に移され、相馬領総鎮守として、藩の上下に尊崇された神霊である。社殿の構造も荘厳で善美をきわめていた。明治三年中村藩県のとき、神仏分離の際、太田神社と改称され、行方郡の郷社に列せられ、明治五年中太田、下太田、牛来の鎮守となり、明治二十九年六月県社に列せられた。本社の創建は元享三年四月相馬重胤が下総の国から、奥州行方郡太田の別所に下向されたとき、下総より妙見尊を奉じきたり、宮祠を造営して奉遷したのが創始である。その後応永年中に社殿の改修が行われた。藩主義胤のとき造り替え、その後文政六年再建、更に拝殿は明治に十年八月の再築となっている。社殿は神殿、拝殿幣殿、絵馬堂、水屋その他付属の建物が整っている。相殿に八幡神社が鎮座している。(「原町市史」より)
境内掲示による相馬太田神社の由緒
当社は今を去る六百八十余年前元享三年四月二十二日茨城県守谷城より相馬孫五郎重胤公が御国換えの際、氏神とし持ち来たり祀られたもので相馬の発祥地なり、霊験あらたかにして生として生ける物は其の御分霊受けて居り神人、万物の生死栄枯はことごとく、その司宰にももるる事なく福祉を万民にたれ給い信仰なければ富貴延命を保ち永く子孫繁栄し牛馬家畜の守護神である。(境内掲示より)
相馬太田神社所蔵の文化財
- 相馬野馬追(国指定重要無形民俗文化財)
- 陣太鼓(南相馬市指定有形民俗文化財)
- 神馬図絵馬(南相馬市指定有形民俗文化財)
- 鳥毛槍(南相馬市指定有形民俗文化財)
- 板石塔婆(南相馬市指定有形民俗文化財)
相馬太田神社の周辺図
参考資料
- 「原町市史」