鹿籠神社。安芸郡府中町桃山の神社
鹿籠神社の概要
鹿籠神社は、広島県安芸郡府中町桃山にある神社です。鹿籠神社の創建年代等は不詳ながら、市杵島媛命は鹿籠に、稲荷大神は名賀屋邸に、弁財天は神社横の大池の中にそれぞれ奉鎮され、その年代は正保年間(1645-1648)とも天保年中(1830-1844)ともいいます。明治44年に三社とも多家神社の境内社貴船神社に合祀されたものの、大正7年名賀屋邸へ遷座、昭和29年当地に再建したといいます。
社号 | 鹿籠神社 |
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祭神 | 市杵島媛大神、宇迦魂之大神、弁財天 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 春季大祭4月3日、秋季大祭10月第3日曜日 |
住所 | 安芸郡府中町桃山2-5-2 |
備考 | - |
鹿籠神社の由緒
鹿籠神社の創建年代等は不詳ながら、市杵島媛命は鹿籠に、稲荷大神は名賀屋邸に、弁財天は神社横の大池の中にそれぞれ奉鎮され、その年代は正保年間(1645-1648)とも天保年中(1830-1844)ともいいます。明治44年に三社とも多家神社の境内社貴船神社に合祀されたものの、大正7年名賀屋邸へ遷座、昭和29年当地に再建したといいます。
境内掲示による鹿籠神社の由緒
祭神=辨才天・厳島姫命・稲荷大神
縁起
右三神は人皇百十代後光明天皇、正保時代より鹿篭地区に祭られたるが、県令により、明治四十四年三月多家神社の境内地貴船神社に合祀さる。
その後鹿篭地区民に神夢の御告あり曰く、『此の神を元の地に帰さば家内安全、息災延命、子孫繁栄守るべし』と。よって鹿篭地区民相諮り大正七年三月名賀屋邸に迎へ祀り、戦後有志これが発起人となり、大方諸賢の寄進協力を得、昭和二十九年十月十六日に神社を再建し、名賀屋邸より遷宮して、今日に至る。(境内掲示より)
「広島縣神社誌」による鹿籠神社の由緒
鹿籠神社は、天保年中(一八三〇-四四)の創立とされる。御祭神の市杵島媛命は鹿籠に、稲荷大神は名賀屋邸に、弁財天は神社横の大池の中にそれぞれ奉鎮されてきたが、明治四十四年、三神は多家神社の境内社貴船社に合祀御遷座された。ところが鹿籠の氏子の夢に神様が現れ、「この神を元の地へ移してくれれば、家内安全、息災延命、子孫繁栄守るべし」とのお告げがあった。そこで大正七年、名賀屋邸へ遷座し、戦後、有志が発起人となり、現在地に昭和二十九年十月に再建した。(「広島縣神社誌」より)
鹿籠神社の周辺図
参考資料
- 「広島縣神社誌」