稲荷町稲生神社。広島県広島市南区の神社

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稲荷町稲生神社。広島県広島市南区の神社

稲荷町稲生神社の概要

稲荷町稲生神社は、広島県広島市南区にある神社です。稲荷町稲生神社の創建年代等は不詳ながら、広島入府の際に建立されたとも、天野某が元禄7年(1694)に勧請したとも伝えられ、享保18年(1733)の大火に際して類焼を免れたことから、火伏せの神としても篤く信仰さていたといいます。

稲荷町稲生神社
稲荷町稲生神社の概要
社号 稲生神社
祭神 豊受大神、大国主大神、稲生武太夫霊神
相殿 -
境内社 -
祭日 3月13日
住所 広島市南区稲荷町2−12
備考 -



稲荷町稲生神社の由緒

稲荷町稲生神社の創建年代等は不詳ながら、広島入府の際に建立されたとも、天野某が元禄7年(1694)に勧請したとも伝えられ、享保18年(1733)の大火に際して類焼を免れたことから、火伏せの神としても篤く信仰さていたといいます。

境内掲示による稲荷町稲生神社の由緒

広島のお稲荷さん
浅野公が広島入府の際、勧請し、当稲生神社は豊受大神・大國主命・稲生武夫公霊神をお祀りしています。
五穀豊穣・商売繁昌・厄除けの神様として四〇〇年の歴史をもち広島のお稲荷さんとして親しまれ崇敬されてきました。特に享保十八年六月十八日広島大火災の時、稲生神社と大工・忠七(信仰厚く稲生社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから火災除けの神様としても篤く信仰されています。(境内掲示より)

「広島県神社誌」による稲荷町稲生神社の由緒

浅野氏の広島入府の際に建立されたものと伝える。なお、『芸備通史』には元禄七年(一六九四)、天野某勧請と記される。原爆により焼失し、昭和二十三年再建、さらに社殿老朽化のため平成五年に現在の社殿を再建した。
伝承
元禄七年、この地に住む天野如辺なる者、居宅に小祠を建ててこの神を勧請する。後にこの家、大工忠七の住居となり、祠を修理して崇敬していたところ、享保十八年(一七三三)松川町より出火して当町まで延焼し、忠七の家と付近の家屋のみ焼け残った。それにより火災の守護神として里人に崇敬され、土手町、松川町、大工町、比治山町をも稲荷町と改めてその鎮守社となったという。(「広島県神社誌」より)

「廣島市史」による稲荷町稲生神社の由緒

稲荷町稲生神社
稲生神社は飯生町電車通りの北側に在り、境内百五十四坪五合(民有地第一種)祭神は倉稲魂神なり、初め元禄七年天野如邊と云へるもの此の地に住し、居宅の裏に小祠を建て、尾長天神社の神職圖書に謀りて之れを勧請す、後ち天野氏去りて、大工忠七なるもの更に此の家に入り、祠堂に修理を加へて信仰せり、享保十八年松川町より出火して、當町に延焼せしに、忠七の居宅及附近の家屋のみ災禍を免る、是より里人の信仰念厚く、火災の守護神と崇め敬ひ、土手町、松川町、大工町、比治山町の四箇町とも稲荷町と改め度よしを官廳に請ひて、許可を得、而して四箇町の鎮守社と爲せり、毎年二月初午の日を以て祭日となす、現今の殿宇には正殿・拝殿・社務所・手水鉢所・鳥居等あり、又境内に勧善碑ありて、町内の孝子・忠僕の名を刻し、その美名を百世の後に傳へり。(「廣島市史」より)


稲荷町稲生神社の周辺図


参考資料

  • 「広島県神社誌」
  • 「廣島市史」