衣羽神社。広島県広島市中区の神社
衣羽神社の概要
衣羽神社は、広島県広島市中区にある神社です。衣羽神社の創建年代などは不詳ながら、平安時代末期に作成された「安芸国神名帳」に記載されている宮社181社のうちの三位衣羽明神に比定され、古くより祀られてきたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41年神饌幣帛料供進社に指定されていました。
社号 | 衣羽神社 |
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祭神 | 市杵島比売命、多紀理比売命、多岐都比売命 |
相殿 | - |
境内社 | 住吉神社、恵比須神社、須佐神社、天満宮 |
祭日 | 旧暦9月29日 |
住所 | 広島市中区江波南1-26-6 |
備考 | 旧村社 |
衣羽神社の由緒
衣羽神社の創建年代などは不詳ながら、平安時代末期に作成された「安芸国神名帳」に記載されている宮社181社のうちの三位衣羽明神に比定され、古くより祀られてきたのではないかといいます。明治維新後の社格制定に際し明治5年村社に列格、明治41年神饌幣帛料供進社に指定されていました。
「広島縣神社誌」による衣羽神社の由緒
平安末に遡る楽音寺蔵「安芸国神名帳」に載せる佐東郡三位七前のうちの衣羽明神は当社に比定され、古くからの神社であることが知れる。藩政期には江波明神と記していたが、明治四年、旧名に復して衣羽神社と改めた。社殿は寛保元年(一七四一)に再興している。明治四年、湊之花海神宮、聖山稲生社、皿山今社、皿山稲生社を合祀したが、後に再び分離する。(「広島縣神社誌」より)
「廣島市史社寺史」による衣羽神社の由緒
衣羽神社
衣羽神社は江波町字下山に在り、境内四百六坪八合(官有地第一種)祭神は市寸島比賣命、多紀理比賣命、多紀都比賣命なり、勸請の年月詳ならず、田所某所蔵の古免田帳に云ふ、『衣羽明神は楽音寺古神名帳に載せる衣羽明神皆此社のことなるべし』と、明治十二年幷に同三十五年の當社上申書に曰『本社の勸請年月不詳なれども、正和二年安藝國司所祭の宮社一百八十社、記に三位衣羽明神とあり、中古境内無税地二反歩ありしこと正徳五年里正社寺境内畝數改め上申書控にあり、且同國古免田帳及舊藩官記に江波明神幷に荒神社無高地二反と有之由云々』と、藩制時代は久しく「江波明神」と書せしが、明治四年社名を舊に復し「衣羽神社」と改め、同五年十一月村社に列し、同四十一年二月一日神饌幣帛料供進社に指定せらる。毎歳十一月六日を以て例祭日となす。(「廣島市史社寺史」より)
衣羽神社の周辺図
参考資料
- 「廣島市史社寺史」