中の棚稲荷神社。広島県広島市中区の神社
中の棚稲荷神社の概要
中の棚稲荷神社は、広島県広島市中区にある神社です。中の棚稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、屋某という者の鎮守であったものとも伝えられ、当地にあった魚市場の守り神として信仰を集め、現在では当地一帯の商売人の信仰を集めているといいます。
社号 | 中の棚稲荷神社 |
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祭神 | 大国主神 |
相殿 | - |
境内社 | - |
祭日 | 7月10日 |
住所 | 広島市中区立町1−11 |
備考 | - |
中の棚稲荷神社の由緒
中の棚稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、屋某という者の鎮守であったものとも伝えられ、当地にあった魚市場の守り神として信仰を集め、現在では当地一帯の商売人の信仰を集めているといいます。
境内掲示による中の棚稲荷神社の由緒
◎魚市場のあった中の棚(現立町)
昔、広島城下に三軒の魚問屋があった。西魚屋町と京橋町と東魚屋町である。ここはその中間にあたっていたので”中ノ棚”ともいって、市中で一番古い歴史を持つ魚市場である。元和五年(1619)浅野長晟が紀州より入府するとき、御肴御用商人「天満屋治兵衛」と「七右エ門」が随行し、東魚屋町に住み、代々魚問屋を業としていた。その後海田屋、周防屋、阿賀屋、吉田屋などの魚問屋が軒を並べた記録がある。
中ノ棚稲荷はこの魚市場の守り神であった。またここにはカマボコ商も数軒あって商売は繁栄した。この町の東は八丁堀の水が南に通じて、今の堀川町を南に向かって竹屋川として流れていたものである。
また、東魚屋町西寄りの小路を「新小路」といった。これは宝暦八年(1758)の寅年に大火があったので、大火のときの混乱にこりて、この「新小路」を開いたものである。
”中ノ棚稲荷”はもと餅屋某という者の鎮守であったもの―と伝えられるが、今は広くこの辺一帯の商売人の信仰の中心となって栄えている。
『新広島城下町』広島郷土史研究会 S40発行より(境内掲示より)
「広島縣神社誌」による中の棚稲荷神社の由緒
掲載なし(「広島縣神社誌」より)
中の棚稲荷神社の周辺図
参考資料
- 「広島縣神社誌」