三篠神社。広島県広島市西区の神社

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三篠神社。広島県広島市西区の神社

三篠神社の概要

三篠神社は、広島県広島市西区にある神社です。三篠神社は、黒皇大明神(黒皇神社)と称して承応3年(1654)当地に創建、永禄年間(1558-1580)に創祀した大年神(大歳神)と、天正年間(1573-1592)に創祀した楠木大明神(猿田彦神)とを承応3年(1654)合祀したといいます。明治22年、楠木村、新庄村、打越村が合併し安佐郡三篠町が成立、新庄鎮座の熊野神社、打越鎮座の八幡神社と青木神社を合併して三篠神社と改称、さらに山手町鎮座の天神社を昭和48年合祀しています。

三篠神社
三篠神社の概要
社号 三篠神社
祭神 大国主命、大年神、猿田彦神、伊弉諾神、伊弉冊神、品陀和気命、帯中津日子命、息長帯日売命、天照大神、市寸島比売命、多紀理比売命、多紀津比売命、雅産霊命、保食命、倉稲魂命、大那牟遅神、神倭磐余比古命、奥津彦命、奥津姫命、言代主命、天満天神
相殿 -
境内社 -
祭日 10月第3日曜日
住所 広島市西区三篠町1-11-5
備考 -



三篠神社の由緒

三篠神社は、黒皇大明神(黒皇神社)と称して承応3年(1654)当地に創建、永禄年間(1558-1580)に創祀した大年神(大歳神)と、天正年間(1573-1592)に創祀した楠木大明神(猿田彦神)とを承応3年(1654)合祀したといいます。明治22年、楠木村、新庄村、打越村が合併し安佐郡三篠町が成立、新庄鎮座の熊野神社、打越鎮座の八幡神社と青木神社を合併して三篠神社と改称、さらに山手町鎮座の天神社を昭和48年合祀しています。

「広島縣神社誌」による三篠神社の由緒

永禄年間(一五五八-七〇) この近在の別府の地に大年神(大歳神)を大年大明神と称して創祀、また、天正年間(一五七三-九二)横川往還の東側の楠の大木の下に小祠を建てて猿田彦神を楠木大明神と称して創祀、さらに承応三年(一六五四)現在地(旧楠木村)に宮社を造立し、大国主神を黒皇大明神(黒皇神社)と称して創祀して前記の大年大明神と楠木大明神を合祀した。『芸藩通志』では、主祭神大国主命が大黒天と習合し、それにより黒皇と称したと考証している。明治二十二年、楠木村、新庄村、打越村を合併し、その後安佐郡三篠町と称していた。大正三年、町の中心に当たる楠木鎮座の黒皇神社に新庄鎮座の熊野神社、打越鎮座の八幡神社と青木神社を合併して杜号を三篠神社と改称し、全町の総氏神と仰ぎ、昭和十二年、境内地を拡張し壮大な社殿を造営したが、昭和二十年、原子爆弾のため樹令三百年に及ぶ境内木と共に烏有に帰す。幸に御神体は災禍を免れ、暫時、もと熊野神社跡の御旅所(現、新庄之宮神社)に遷御し、同二十三年、焼跡に本殿一棟を造営して還御し、同二十九年拝殿を造営した。同四十八年、山手町鎮座の天神社を合祀する。境内地は都市計画のため狭隘となった。(「広島縣神社誌」より)


三篠神社の周辺図


参考資料

  • 「広島縣神社誌」