広島天満宮。広島県広島市西区の神社

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広島天満宮。広島県広島市西区の神社

広島天満宮の概要

広島天満宮は、広島県広島市西区にある神社です。広島天満宮は、火災の多かった当地(小屋新町)が、天明8年(1789)町名を天満町と改めたことから、文政5年(1822)に天満宮を田中屋清左衛門の別家内に勧請、文政10年(1827)当町北側に路を開いて遷座したといいます。

広島天満宮
広島天満宮の概要
社号 天満宮
祭神 菅原道真公
相殿 中将殿、吉祥媛命
境内社 稲荷社、祖霊社
祭日 8月25日
住所 広島市西区天満町9-7
備考 -



広島天満宮の由緒

広島天満宮は、火災の多かった当地(小屋新町)が、天明8年(1789)町名を天満町と改めたことから、文政5年(1822)に天満宮を田中屋清左衛門の別家内に勧請、文政10年(1827)当町北側に路を開いて遷座したといいます。

「広島縣神社誌」による広島天満宮の由緒

当地はもと小屋新町と称したが、町内に度々火災が起き家屋の焼失が多かった。そこで天満宮の霊徳を以って火災を免れようと天明八年(一七八九)、町名を天満町と改めた。天満町と称すも天満宮を奉祀しないのは名実相伴わずとして、宿老綿屋七左衛門知孝と田中屋嘉三次幸福が相諮り、文政五年(一八二二)田中屋清左衛門の別家を境内地と定めて勧請創祀した。しかし、その地(現、天満小学校)は低く、民家高く、神慮に適わずと町民憂慮の折、同九年十一月、十年四月と町内に火災続き、さらに同年七月七日には町内三箇所に落雷があって火災となった。そして同年、当町北側に路を開き、天満宮を遷座した、原爆に依り焼失し、昭和二十一年、平成三年に御本殿以下再建する。(「広島縣神社誌」より)

「廣島市史社寺史」による広島天満宮の由緒

天満町天満宮
天満宮は天満町本通り筋の北側にあり、境内八十三坪九合九勺、祭神は菅原大神なり、天明八年の勧請なりと云ふ、明治四十二年十月八日罹災し、殿宇悉く焼失す、大正元年九月これを再建せり、現今の殿宇には正殿・祝詞殿・拝殿・鳥居等あり。(「廣島市史社寺史」より)


広島天満宮の周辺図


参考資料

  • 「広島縣神社誌」
  • 「廣島市史社寺史」