専立寺。広島県広島市南区にある浄土真宗本願寺派寺院
専立寺の概要
浄土真宗本願寺派寺院の専立寺は、爲安山と号します。専立寺は、松尾城主高橋大九郎爲資の舎弟次郎爲安が、毛利元就との戦いで高橋大九郎爲資が戦死した後に出家、浄道と称して高田郡横田村に一宇を建立して敬覺寺を創建、毛利氏が広島を開いた天正年間(1573-1593)には広島に寺地を拝領して爲安山千蔵坊(当寺)を創建したといいます。
山号 | 爲安山 |
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院号 | - |
寺号 | 専立寺 |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 広島市南区京橋町10−8 |
宗派 | 浄土真宗本願寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
専立寺の縁起
専立寺は、松尾城主高橋大九郎爲資の舎弟次郎爲安が、毛利元就との戦いで高橋大九郎爲資が戦死した後に出家、浄道と称して高田郡横田村に一宇を建立して敬覺寺を創建、毛利氏が広島を開いた天正年間(1573-1593)には広島に寺地を拝領して爲安山千蔵坊(当寺)を創建したといいます。
「廣島縣史」による専立寺の縁起
専立寺
開基浄道、(高橋大九郎爲資弟爲安)天正中創立、爲安坊といふ、子浄國の時、今の寺號に改む。(「廣島縣史」より)
「廣島市史社寺史」による専立寺の縁起
専立寺
専立寺は爲安山と號す、金屋町に在り、本尊は阿彌陀如来なり、僧浄道(一に乗道に作る)を開基とす、浄道は高田郡横田村松尾城主高橋大九郎爲資(吉田者譜、陰徳太平記、高田郡誌には大九郎光物に作る)の舎弟にして、次郎爲安(温故私記、吉田物語、高田郡誌等皆二男爲安に作れり)と稱し、毛利元就と戰ひて利あらず、爲資は石見國邑智郡阿須那郷にて討死し、爲安は毛利氏に降りしが、後り僧と爲りて浄道と稱し、横田邑に一寺を草創す、即ち横田邑の敬覺寺これなり、天正年間、毛利氏廣島開府の時、浄道は當地に来り、寺地を賜はりて、當寺を創建し、爲安山千蔵坊と號す、後ち之を其子浄圓に譲り、自ら敬覺寺の歸住す、元禄十二年五代嶺雲の時、釣鐘を新鑄し、寛延三年十一月七代嶺卓の時、東派に轉ぜしが、幾ばくもなくして、寶暦二年五月西派に復し、文政四年四月十五日佛護寺觸下を除かれ、浄圓寺の支配に屬せしが、弘化・嘉永の頃町奉行の直支配となり、觸下を脱せり、明治三十九年十二代天然の時、本堂・庫裡の大修繕を爲せり、(「廣島市史社寺史」より)
専立寺の周辺図
参考資料
- 「廣島縣史」
- 「廣島市史社寺史」